2013年3月2日土曜日

自由と個性の尊重の履き違え

20年くらい前から子供の教育に自由と個性を主張する親が増えてきた。
自由に生き生きと育てることにより個性を引き出し、それを伸ばす。

確かに間違ってはいないでしょう

でもね、本当にそれで個性って引き出せてるのでしょうか?

自由という言葉の裏側には、一つ約束事があります。

それは、ルールを守るということです。

人が生きて上で最低限守らなければならないルールがあるのです。

ではそれは誰が教えるのか?

自由と個性を履き違えて主張する親に限って、この答えは、学校であったり社会というように世間が教えてくれると思っています。

わかる人はわかりますよね。

世間なんか教えてくれません。

間違いなく親が教えないといけないのです。

ルールがない自由で育った子供の結末は明らかです。

当然全員とは言いませんが、成功する可能性は極めて低くなります。

ここでもこのような親はこう言います。

「社会でどのように生きるかは本人次第」

これこそ問題にならない育児放棄、子供に対する目に見えない虐待だと思いませんか?

そんな子供達が世に出てきています。少し話をすれば、どのように育ってきたか明らかです。

そしてそんな子達に個性はありません。

個性尊重と言いながら、親は、周りの目を気にしながら生活してますから、目立たないようにその他大勢の一員として育ててしまいます。

目立たないようにしつけることが生きて行く上のルール、それをしつけと勘違いしてます。

目立たないならそれは個性とは言いません。

親にとっての個性だけで、世間に対する個性には全然つながっていません。


これは親と子に限ってお話ではありません。

企業においても一緒で、同業同士であれば個性を出さなければ、差別化は生まれません。

しかし、個性を出すと、それは場合によっては異端児と言われてしまいます。

それを嫌い、結局は個性を出さないまま、努力をし続け、頑張っているがしんどいままである会社が多いです。

個性を発揮し、差別化を持ち、同業の中から抜け出すためには、異端児を怖がっていては、成功はあり得ないのです。

差別化から成功するためにはまずはいいも悪いも異端児になることです。

それこそが個人もしくは企業の個性と言えるのではないでしょうか?

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