2014年1月18日土曜日

人間の成長とは

前にも書いたと思うが、会えて再度書いてみようと思う。

経験ってなんなのか?

辞書を引くことは皆さんにお任せをしよう。

ここでは、漫画家のかわぐちかいじ氏か作品の中で書かれているフレーズを紹介する。

「経験は人間が成長する糧である」
がしかし、
その経験が自分にマイナスだったからと言って、
「人間は、一度経験すると、経験してない自分に戻ることは決してない」

経験は人間の成長にとって、絶対必要なものだがよほどの覚悟がない限り経験はできない。という表裏一体的なことを書いている。

ぼくは、経験という説明は、これが全てであると思っている。

経験の結果、自分にとって良くない答えが出たとしよう。

その時人間は、あー何故あんなことをしてしまったのかと反省をする。

そして多くの人たちは、その経験から、同じ過ちは繰り返さないことを誓う。

これが失敗の経験から導き出される、多くの人が正しいと感じている答えなのだ。


本当にそう思いますか?

確かに、何度も同じ失敗を繰り返してはダメだろう。

しかしその経験談から導き出される答えがこれでいいのだろうか?

そして失敗しない自分を成長したと感じる人たちが多い。

特に、引退組も含め、ベテランの領域に入った社会人に格段に多い。

もういい歳なんだから、失敗なんて出来るか!ということなんだろうか?

僕は決してそうは思わない。新しい経験を求めている人とそうでない人は、生き生き感がまるで違う。

死ぬ直前まで、人生最高を続けるためには、実は未体験ゾーンへの挑戦でしかないと僕は思う。


かわぐちかいじ氏のフレーズに戻るが、経験は、人間の成長の糧であるが、経験するためには覚悟と努力が必要であるといことだ。

今の社会は、この覚悟と努力を認める社会になっているのだろうか?

自分の子供に、経験を阻害する発言や行動をとってはいませんか?

この子は、まだ責任も覚悟もわかっていないから、やってはダメなんです。と、いう親がいる。

じゃぁ、あなたが責任と覚悟を持ってあげればいいじゃないですか!

そして盾になって、行動をさせ、経験から良し悪しを学ばせればいいと思う。

あなたにとって、子供が責任や覚悟がわかるときっていつですか?

あっ、これ放任主義じゃないですよ。

放任主義は、常識的にやってはいけないことまでやらせちゃって、親は責任取りませんから!


勘違いしないでくださいね。


2014年1月8日水曜日

「思い込み」 これも主観と客観のお話

日本人は、良く他の国の文化や思想、ルールに触れた時、「信じられへん」「ありえへん」「そんなことようできるわ」という少し馬鹿にした発言をよく耳にする。

私たちの生活習慣の違いで日本人から見た時の非常識さを安直に表現した言葉である。

特に食べ物となると、それがより顕著になる。

日本人が口にしないもの、そしてそれが獣系であれば、ほとんどゲテモノという言葉を使って処理をしてしまう。

確かに率直な素直な意見で、そういうことを言うなと言う必要はないだろう。

しかし、私たちがおかしいと思っていることは、実は全て彼らの当たり前の行動であることが多い。

日本人が主観で物事を判断して、感想を口に出しているに過ぎないのだ。

他国の人達は、私たちとは、物理的環境も文化も、思想も、違うのだ。

それを理解せずして、その言葉を発するのは如何なのもか?

自分たちが世界のスタンダードで、そこから外れることは全てイレギュラーという判断を人間は往々にしてしまう。

そこから抜け出し客観的に物事を判断することが大切だ。

何もその文化を取り入れと言っているわけではない。が、理解する努力はしないといけないだろう。


一つ例を挙げよう

皆さん知っていますか、先進国の中で、一番のゲテモノ食いと言われているのは日本人であることを!

そしてそれは何を指して行っているのか?

実は「生卵を食す」ということが世界中で日本人が一番のゲテモノぐいと言われている所以である。

他国の人達にとって生卵をそのまま食すと言うことが信じられない行為なのだ。

昔、映画「ロッキー」で、主人公が強くなるため、スタミナを付けるために、コップに生卵を何個も割り、飲み干すというシーンがあったのを覚えているだろうか?

あれは、決して日本人を意識してるわけでは無いのですが、それだけえぐいことをしなければ強くなれないという安直なメッセージを送る演出だったと聞いている。

ちばてつやさんのゴルフ漫画「明日天気になあれ」でも、主人公の向 太陽君が、海外での試合に臨む前、日本人は、卵かけご飯を食べないと力が出ないと、ホテルの厨房にご飯と生卵を要求し、それを掻き込むというシーンがありますが、やはりその後ろでものすごく嫌な顔をしたホテルスタッフが書かれている。

知らなかった人、ビックリするでしょ。

でもこれが世界のスタンダードなんですよ


このように、主観で物事を見ると、自分が中心になり、自分の行為総てが正しく、それ以外はおかしいと判断してしまう事になる。

主観で物事を判断すると言うことは、思考を止めてしまい、新しい知識を入れないと言うことに繋がってしまう。

確かに間違いを受け入れる必要は全くない。しかし、ハナから、それは間違いだと判断をして拒絶するのはいささか、軽率な行動では無いだろうか!

思い込む前に、一度相手をしっかりと見ると言うこと、理解しようとする行動が必要である。

隣の家には、隣の家のルールや週間があるように、国家間ではそれはより顕著になる。

それを理解した上で、物事の判断をすれば、より相手を知ることができ、次の展開が大きく変化するはずで、自分の経験や知識として、今後の人生の糧となる。

安直では無く、冷静に相手を見てからの判断 それが客観的に物事を見ると言うことである。

あーー、具体的な国家のことを言ってるわけではありませんし、客観視して、嫌いななものは嫌いですから・・・・僕の場合は!!!