2023年6月12日月曜日

恐竜って・・・

 6600万年位前に絶滅したとされる恐竜

 今後、地球上に昔のような恐竜が出てくることはないのだろうか?


そもそも恐竜のスタートをたどると、恐竜の時代から遡ること2億5000万年くらい前に派生した爬虫類が恐竜になったとされる。派生から絶滅までの間、約1億8000万年くらいが恐竜の時代である。
絶滅したとされる時代からまだ6600万年くらいしかたっていない現代、今の爬虫類たちが再度恐竜に進化を遂げる途中であれば、数千万年後には、また恐竜が闊歩しているかもしれない。
人間がその時代も存在していれば(存在していなければ恐竜の進化もリセットされてしまう可能性が高い)恐竜との共生もあり得るのだろうか?

いづれにしても、恐竜は絶滅したというのはちょっと違和感を感じる。爬虫類が存続しているのであれば、いずれ恐竜が復活する可能性は残っている。
進化とは、地球の時間軸で起こっているのだから・・・・


 

2023年5月16日火曜日

公園の役割

公園ってどんな役割?

子供達の遊び場?
地域の交流の場所?
安らぎの場所?
公園もいろいろある

設置されている場所で、その目的は大きく変わる。
住宅地の公園は小さな子供達とその親たちの交流の場となっている。
駅前公園は、買い物や娯楽のひとときの安らぎの場所だ。
誰が決めたわけではないが、利用目的がその利用者によって自然と決まっているように思う。

その対象者にとっては、良いかもしれないがそれ以外の人にとっては、関係のない居場所になっていないか?

本来の公園って、その地域の人総てがほんわかした中で交流できる場所であるはずだ。老若男女全員が、心地よい空間であることが公園広場だよね。

公園とは目的を持たない場所!!!それが目的!!

今、枯渇になっている人とのつながりを復活させる最大の場所にしなければならない。
天気が良ければ、行きたい場所は公園 
公園に行けば仲間が居る。人がいるから子供だけで遊んでても安心 そんな環境を簡単に作れるのが公園だ そんな誰もが集いやすい公園

これは、物理的問題で解決することではない。ルールが人を縛るのではなく、その地域の人達の常識がルール 全員がまずは認め合うと言う繋がりが大切だ。

皆で公園に行こう 公園を楽しもう!!

今日講演を聴いててふっと思った。


2021年6月3日木曜日

解決の二極化

あなたは、壁にぶち当たったときにどうやって解決しますか?

それは決死って大きな壁ではなく、スマホの操作等の些細なことでも起こることです。

そんなときあなたはどうしますか?

1.説明書、ネットなどを駆使して問題解決の糸口を探ろうとする

2.人に聞く

3.諦める(笑)


3はないとして、あなたはどちらですか?


当然、1であるべきです。

糸口を探す努力が、後々、同じような問題を抱えたときに、自分の知識として解決できるからです。 それが人間の成長です。
直ぐに他人に、聞いて解決しようとする人は依存型です。
目の前の問題は解決できるでしょうが、それの応用は全く利きません。
依存してしまえば全く自分の身になっていないと言うことです。

僕のまわりにも、直ぐに「これどうしたらいいの?」と聴いてくる人がいます。

そんな人は、必ず、同じような内容の質問を何回も繰り返しています。
本人には別のものと移っているのでしょうが、こちらから見ると全く学習していない同じ質問の繰り返しです。

一つ間違ってはいけないのは、絶対に自分で解決しなければならないかというと実はそうではありません。
大切なのは、自分の力量の及ぶ範囲の最大の努力をすると言うことです。
その域を超えたときには、他人に質問を投げかけるべきです。

自己で完結する内容であるなら、時間がかかっても問題ないでしょうが、他人を巻き込むような内容であれば、時間をかけるだけ人に迷惑をかけてしまいます。
仕事においては、これは大きなマイナスに繋がります。
そのバランスを考えることも必要です。

経営者やグループリーダーの中に、「解らなければ直ぐに聞け!!」と言う人がいますが
それはその人の成長を阻害していつ可能性があります。

人は自らが考えル事によって成長していくものです。

あなたは、

「どうしよう?」派

「どうしたら良い?」派 

どっち?









2019年3月21日木曜日

責任



トップに立つ者の責任と、それ以外の者の責任
同じ責任でも、全く性質が違う。
トップに立つ者の責任には、社会的な二つの責任と、社内における一つの責任がある。
逆に、トップ以外の人間には、企業の目的に向けた業務遂行の大きな責任がある。
この全く違う二つを無理矢理一つとして語ること自体がそもそもおかしな話であり、真っ当な社会人がすることではない

2018年10月25日木曜日

活躍こそ永遠の生命

人間には誰にも、重要な瞬間がある。どんな人なのか解る瞬間が・・・
そしてそれは殆ど・・・最後の時・・・

人間は死ぬときは誰でも一人
しかしそれを客観的に見届ける人間こそ、その人間の重要な瞬間を受け継ぎ、その個人を心の中に生き続けさせる存在なんだ。
死とは自らにとっては凄く簡単なこと
しかし他人にとって、それはその人の存在を認識する最後のチャンス そのチャンスをつかんだ人の中で、その個人は生き続けていく

2018年6月19日火曜日

善と悪 どちらが先に生まれたか?

善が先なのか?悪が先なのか?動物は、常に自分が普通、当たり前だと考える。言い換えれば自分が一番 主観的ものの見方しか出来ないといえる人類創造の頃は、当たり前にそうだったと想像がつく。理性を持ち、自らと他人の比較しだしたときに、そこに差に対する言葉が生まれる。比較から生まれた言葉が善という単語と悪という単語だ主観でスタートした動物であるのだから、最初にできた言葉は、自分は常に正常と考えるのであるから自分の考えと違う他人の行動は総て悪になるのである。これも容易に想像できるであろう。
悪が生まれ、その対比語として善ができたと俺は思う。
争いもしかり(笑)
人間をスタートで物事を考えるのではなく、根源の動物をスタートで考えれば、人間が起こす世の中の問題の答えは見える。
難しくしているのは、主観でしか物事を考えない人間であるということが…

ヒューマンコミュニケーションとビジネスコミュニケーション

コミュニケーションという言葉にどのような感覚を持っているだろうか?

何事も複数の人が集まり、目的の下、共働を起こすとき、意思疎通を測る上でコミュニケーションは絶対に必要である。
成功の一番の近道は人間関係であり、それを構築する最大の手法がコミュニケーションであると確信している

ではコミュニケーションとは?
気持・意見などを、言葉などを通じて相手に伝えること。通じ合い。
と、解説されている。

さて、皆さんは、この解説を読んで、言葉通りの事が出来ていると思いますか?

仲間意識を確認する
仲間と楽しい時間を共有する
相手を気遣う

為だけにコミュニケーションを使ってはいませんか?

確かに気持ちを伝えると言う意味では、上で書いたような関係構築のためにコミュニケーションは必要でしょう

人が人と仲間意識を持ち楽しい時間を構築するためのコミュニケーションを僕はヒューマンコミュニケーションという言葉で定義づけました。

えっ?それだけではないの? それで充分でしょ!と言う方は多く居られると思いますが、他方、一番最初に述べたように、同じ目的を持ち共働し、成果を求めるコミュニケーションとは、このヒューマンコミュニケーションでは無いはずなのです。

お互いが意見をぶつけ合い、作り上げていこうとする意思伝達もコミュニケーションなのです。
相手の間違いや疑問をしっかり指摘し、誤った方向に進ませないための意思伝達も間違いの無いコミュニケーションなのです。
これをビジネスコミュニケーションと呼ぶことにしました。
これは、内容によっては、激しい感情のぶつけ合いになることもしばしばあります。

しかしそれは、目的をしっかり見定めた行動(感情のぶつかり合い)であるため、単なる否定や中傷になることはありません

ところが、ヒューマンコミュニケーションがビジネスコミュニケーションを邪魔をするときがあります。
人間関係を優先してしまったときです。
相手を思う気持ちが先立ち、目的達成に対する見定めが狂ってしまったときです。
この日本では非常に多くあり、もしかすれば人間の心の中にあるビジネスに対する一番非効率なところかも知れません。

企業内である、部門間の争い よく耳にしますよね
例えば技術部と営業部が言い争いをしています。

技術部は、「営業はもう少し、やりやすい仕事を受注できないのか?お陰で、残業が増え予定通りの利益が確保しずらい。もう少し現場のことを考えろ!」
営業部は、「文句を言う前に、自分たちの効率化を考えたらどうだ!技術部は、外から見てたら無駄な動きが多すぎるよ。」
これはコミュニケーション不足だからなのでしょうか?
このような状況において、上司は「もうちょっとコミュニケーションを取って仲良くやれ!」というでしょう。
これは案に、ヒューマンコミュニケーション不足を言っているのであって、実はビジネスコミュニケーションは出来ていますよね。表現方法が少し問題があるかも知れませんが、業務遂行において、しっかりと目的遂行のための指摘をしています。

このように、コミュニケーションには、裏腹な2種類のコミュニケーションがあるのです。

残念ながら、人間関係の構築ばかりが先に目立って優先されているため、目的遂行の大きな阻害要因になっています。

ここで間違ってはいけないのは、先例で書いたような、ヒューマンコミュニケーション不足による表現方法の問題です。読み解けばビジネスコミュニケーションは出来ているように感じますが、流石にヒューマンコミュニケーションが構築されていなければ、誤解を招き、単なる感情のぶつかり合いにしかなりません。

ビジネスコミュニケーションもヒューマンコミュニケーションの上に成り立って、初めて機能するものなのです。

ヒューマンコミュニケーションが確立されているなら、共働、目的遂行は目の前です。
ヒューマンコミュニケーションで確立されたその人間関係を信じ、ビジネスコミュニケーションをやりましょう


共にある目的のために!!