2013年5月25日土曜日

人を怖がる


最近怖い人だと言われることがある。
人の何を持って怖いと感じるのか?
たとえば恫喝など犯罪行為をすればそれは怖い人だろう。
しかしそれ以外でも怖い人という言葉は使われる。
人が人に対して怖いと感じてるとき、それはどのような状況なのか?
自分はあまり他人を怖いと思ったことがないので、推測の域を超えないが、自分の常識の範疇を超えた行動をされたときそれは怖い行動になるのか?
しかしその行動が、社会的常識であればなぜそれを怖いと判断するのか?
それは怖いと判断する人間が、未熟だからに過ぎないのではないか?
今回、橋下市長の爆弾発言が世の中を激震させているが、あの橋下市長は怖い人だという人が少なからずいる。
しかし、あの発言の何処が怖いのか?
内容は全く当たり前のこと発言していると思うし、それが事実であるはずだ。
ほんの少し歴史を考え戦場なり軍隊という非日常的な中で継続的緊張を続ける中で、決して非常識な行動とは思わない。
人間の生理現象からしても決して不思議ではないはずだ。
同じ意見の人は多く居るはずである。
駄目なのは、市長という公人の立場で発言したと言うことである。
それは失敗だろう。
しかしそれは、馬鹿であって怖い人にはならない。
それを怖い人と判断している人達にとって、現実をしっかり見ていないにすぎないのではないか?
歴史の反省は大切だとは思う。
美化する必要も無い。
しかし現実をしっかり受け止め判断をすることは必要である。
それをせずして怖いと判断している人を理解することは出来ない。
結局、その真意を知ろうとしないからそのような怖いという発言が出てくるのだと思う。
僕は、人を怖がったことがないと言った。
なぜなら、真意を追究するからである。
そして、もし議論が出来るのであれば議論の中で真意を追究する。
そうすれば何が良くて何が悪いのかが明確になる。
そうすれば人を怖がる必要な無いはずだ。
知ろうとしない。
自分の常識から外に出ようとしない人達が常識外れを引き起こされたとき、保身のために他人に怖い人という発言をする。
怖がられてる人って、怖がってる人を確実にハナから相手にしてない。
あなたはどっちになりたいですか?


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