2013年5月2日木曜日

反対意見と賛成意見


世の中のあらゆる出来事において、興味の有り無しは別として、必ずそこには賛成と反対の意見が存在する。

毎日繰り返される、テレビや新聞の報道を見ていても、賛否の意見が良く報道されている。

総論的に観察をしてみると、どのような出来事であっても概ね反対意見の報道が多い。

あくまでもマスコミによる世論誘導はないのもとして考えて欲しい


では実際にそれだけ反対意見が多いのか?

賛成意見を反対意見が大幅に上回っているのかというと実はそうではないのだ。


ではなぜ、反対意見ばかりが耳につくのか?

人間は、意に反した内容、自分に得がない場合 自分が不利益になるような内容の時は声を大にしてたてつく習性がある。

皆さん方も経験があるだろう。


では、賛成の時はどうか?

実は人間の本能として、意に沿った内容、自分に徳や利益がある無いようについては、コッソリと推し進めてしまう生き物である。

故に自分に利益がなくても、賛意については、わざわざ自己主張しない。

賛意の自己主張しないことが美学のようになってしまっている。


ではそれで良いのか?

決してそれで言い訳がない。

以上は、すべての事象において賛成または反対の意見を持つと言うことを前提に書いた。

当然そのどちらにも当てはまらない要素がある。

自分は興味が無い、その事象について詳しくない内容などは、度地も選択の出来ない玉虫色になる。

そんな人達にとって、どちらかを判断しなければならないとき、世間の声というのは大きな判断材料になるのだ。

選挙などがその最たるものである。

具体的j指示のない人達は、世間の意見をとりいれてしまう。

4年前の与野党逆転などはその最たるものだ。

現与党の自民党は駄目だという意見はどんどんと声に出されそれがあたかも世論のすべてであるかのように渦巻いた。

しかし、そんなかでも自民党を支持したり自民の政権運営に賛成の人達も多くいたのである。

しかし、そんな人達は、ほとんど声に出して発信はしなかった。


このように、賛成と反対で発信される声の数や大きさは、それが世論とはほど遠いくらい違っている。

世間が正しい判断をするためにも、賛意を持っている人は堂々と発言をしなければならない。

批判だけをするのではなく、応援をするという事がいかに大切か、それが自分の生きる道、国の歩む方角をも曲げてしまう大きな世論になりかねないのだから・・・

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