2012年4月19日木曜日

子どもが親を超えるとき

親は何を思って子供に教育を受けさせているのか?進学校であるからだろうか?確かに教育熱心な親が多い・・というかほとんどがそうである。しかし、親はどのような理由で子どもに勉強をさせているのか不思議でしょうがない。明らかに、国公立などの良い大学に入ることを目的においている親が非常に多いと感じる。本当にそれで良いのか?子どもの意志は?確かに中学1,2年生に勉強をする目的を聞くのは無理かもしれないが、高校2,3年生になって社会に出てからの目的を持っていないのはこの時代ある意味問題である。良い大学に入るのは、社会に出てからの自分の目的に対する手段であって、大学に入ることが目的ではない。子どもが社会人として自分を超えて成長する礎を気づいてあげることが、教育であると感じる。
子どもが、親を超える要因は非常にたくさんある。子どもの身長が自分を超えたときなどは、悔しさとうれしさが複雑に交錯する。同じように、社会において子どもが自分を超えたと実感したときが一番複雑であるかもしれないが、喜びでもあり、それが真の子育ての終着点ではないのだろうか?子どもが独立すれば確かに物理的子育ては終了する。子育ての成果が出るときは、子が親を超えたときであり、そこで真の子育てが完了すると感じる。それを感じる事ができない(子どもが親を超えない)親が非常に多すぎるが・・・
少々偏った考え方であるかもしれないが・・・・

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