2012年10月4日木曜日

時代の流れの中の服屋さん

この年末で、成人になって以来、僕の面倒を見てきてくれた服屋さんが閉業する。親父の代から続いている服屋さんである。
成人式には行かなかったが、それようにと作ってもらったのが自分にとって第1着目のスーツである。
それ以来、何着の服をその人には作ってもらってきたか?
これからもその人の服を着れるもんだと思っていた。
僕の周りにも同じ服屋さんが作ったスーツを着ている者が数名いる。
当然彼らも同じ思いなんだろう。

ある意味自分の身体の大きさを総て理解してくれている人である。
ご子息が後を継がれるもんだとばかり思っていた。
理由を聞くと、決してご子息の問題ではなく、時代の流れに会わなくなってきていると言うのだ。

安売りのスーツ屋が世に多く出てきても、良い仕立てのスーツの意味をわかってくれる人は着続けてくれた。

しかし最近になり、その意味が理解してもらいにくくなった。

本物の良さを解る人間が減ってきたというのだ。
これは本物が解る人たちが逃げていったのではなく、本物を知る人が高齢になり、スーツを作らなくなった。そして、若い人たちにその良さが伝わらない。

高度な技術が安さに負けてしまった。テーラーとして、職人として誇りを持てなくなった。

だから息子も店には戻さなかったと言う。

何とももったいない話であるが、かたや時代の流れと言ってしまえばそれまでの話なのだ。


一度だけ、オーダースーツを百貨店で買ったことがある。
一度どんなものか着てみようとちょっと浮気心で買ってみた。生地もそこそこで、半値ぐらいで作ることができた。
数回着てみたが、ストレスがたまるばかりで、仕事にならない。そのスーツは、今タンスの肥やしとなっている。

そこで改めて知った。

あの方は僕の身体の総てを知ってくれているのだと・・・どこがどのようにカーブしていてどこが真っ直ぐなのか!サイズだけの話ではないのだ。
プロが作る服の本質を改めて実感する。
服とは、その人を大きく綺麗に見せるものでも何でも無く、その人本来の姿をきっちりと演出するための道具である。
合わないスーツを着ると、人間をマイナスにしか表現しない。だからといってぴったりな服は、その人を力量以上に表現するものでもない。その人を当たり前に表現するのだ。

そんな服を作れる服屋はもうそんなにいない。

そんな彼が、もうじき最後の御用聞きにやってくる・・・・・・・・・

田中さん、ありがとう

1 件のコメント:

  1. 今日聞いてみた。今までに作ったスーツの数、今日のオーダーを入れて46着 1年2着 夏冬1着ずつくらいの計算か・・・・改めてありがとう

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