2013年11月12日火曜日

人間は高度に見えるが実は単純

あなたは同じ失敗を繰り返したことがあるだろうか?
ない人はいないはずである。

自分一人にかかる問題の失敗なんかは本当に多々あることだろう。

当然それだけではなく、他人を巻き込んでの失敗も数えたら切りが無い。

ビジネスにおける致命傷に近い失敗も僕は幾つかある。

そんな重大なことであるにもかかわらず、また同じ失敗を繰り返してしまう。


あなたは、そんな失敗を起こした時、または失敗を繰り返した時、どう考える?

もう絶対同じ失敗は繰り返さないぞ。と心に誓うはずである。

しかし、同じ失敗を繰り返さないための、防御策を講じたことはあるだろうか?

実はほとんどの人がそのようなことは考えるが、思いつかないために実行で来ていないのだ。


なぜ、思いつかないのか? 

それは失敗した事柄を中心に考え、そこから防御策を講じようとするから答えが出ないのだ。

必要なのは、失敗した事柄を掘り下げることはでなく、人間という動物が失敗を起こしたと考えればいいのだ。

失敗した内容なんてこの際どうでもいい。

人間は高度に物事を考え、行動を起こすことができる動物である。

だからどうしても、複雑に物事を考えがちなのだ。

事を起こした内容が重要であればあるほど、それは高度なことだから失敗をしたと判断してしまう。

だから防御策も高度なんだと勝手に考え、高度な中で思考してしまう。


実は高度な思考と行動ができる人間も実は非常に単純な動物なのである。
ということをまず認識することが大切である。

弊社の現場で、こんなことが起こった。

今は当たり前のことであるが、現場内での喫煙は、所定の場所でするようにと現場監督が、朝礼で注意を喚起した。

なかなか実行されず、毎朝それを繰り返した。

忍耐強く言い続けることにより、所定の場所以外で喫煙するものはいなくなった。

監督は、もう大丈夫と朝礼での喚起をやめた。

するとどうであろう。

一週間もしないうちにまた所定場所以外で喫煙がはじまってしまったのだ。

結局その監督は、現場が終了するまで、注意を促すことをやめなかった。

なぜこのようなことが起こったのか? 
それは、喫煙当事者に喫煙場所以外でタバコは吸わないという注意に対する防御策が講じられていないからであった。

この場合の防御策は、実は現場監督の朝礼での喚起にあったのだ。


今のこの例えは喫煙するという非常に簡単な事象で説明をしたが、実は高度になっても防御策は一緒なのだ。

防御策を講じていても、実は人間はそれを繰り返さない限り同じ過ちを起こしてしまうのだ。

また防御策をこうじていても、それがマンネリになってくると防御策としての効果は薄れまた同じ行動をとってしまう。


さてそれでは僕の防御策をご披露しよう。

非常に単純である。

毎日必ず、行う行動の中に防護策を思い出すサインを組み込めばいいのだ。


例えば、毎日顔を洗う洗面台の鏡に、今までにはないシールを貼る。と言ったようなことである。

指輪のように身につけるものならなお良い。

今までに無かったところに変化をつけることにより、思い出させるというやり方である。
そしてそれがマンネリになってきたら、別のものに置き換えれないい。
必ず一日一回は、目にしたり触れたりするところに、変化のあるものを存在させるだけで、人間は忘れずに済むのである。

僕の周りにはそんなものばかりであるが・・・・悲しい・・・・・


2013年10月22日火曜日

付き合える相手はどこまでの範囲か?

人間は、幼稚園に入った瞬間から、死ぬまで集団生活の中で生きて行く。現在は保育園が数の幅を利かせ0歳保育とかいうのまであるようなので一概には言い切れないが、物心がつき、自立して自分の意思で行動を起こし出した頃と考えれば良いか?

まぁ、日本人のほぼ100%に近い子供達は小学校に入学するので、別にそれからでも良い話をダラダラ書いてみようと思う。

さて、冒頭でも書いたように、無人島で生活でもしない限り、人間は集団生活の中で一生を終える。

一言で言ってしまえばどってことの無い話である。

しかし人間にはいろんな意味で、多くのタイプがある。思考的分類 行動的分類 思想的分類 生活的分類・・・・・たぶんあげ出せば切りが無いだろう

人間は、この無数にあるタイプの人間と付き合いきれるのだろうか? 

それはたぶん無理である。

というか、殆どのタイプの人間と付き合うことができないのでは無いだろうか!

学生時代のクラスや 社会人になっての会社や配属部署などはそんなタイプを考慮して配置などしていない。

あらゆるタイプがごちゃっと集められている。

当然、それを意識することなく、学生生活を送ったり 社会人として目的達成のプロジェクトを遂行していく。

それはそれで学び遂行できるであろうが、最大の成果を生むのは、そんな状態ではないはずである。

学生時代の学びは、逆にタイプに分けない方が学びも大きく人間の幅を広げるからよしとしても、社会人としてはいかがなものであろうか?

入社試験などはもしかしたら、ある程度のタイプのふるいをかけているのかも知れない。

ビジネスにおいても、チーム内のタイプのバランスで、進捗がはかどったり思いも寄らない結果が出たりする場合がある。
しかし、そのチームで成功したからといって、他のプロジェクトが同じチームで成功するとは限らないのだ。
物事に対する自分の適材適所があるように、人においても自分の適材適所がある。

友だち付き合いはできても、ビジネスは無理な人
ビジネスはできても一緒にプライベートを過ごすことができない人
ハナから完全に拒否してしまう人
逆に何でも一緒にできる人
プラスとマイナスの二極だけではなく、それぞれにアナログ的レベルがあるのだから、人の付き合いというのは本当に複雑怪奇である。デモだから面白い。

良いのか悪いのは別として、自分が付き合える人間とは?

自分が好きとなる人とは?

逆にどんな人に好いて貰いたいか?

どんな人に自分を買って貰いたいか?

などをコッソリ考えてみるのも自分を知る上で大切なことである。

リアルにそれを表現すると、つまはじきになる可能性があるが・・・・



2013年9月21日土曜日

地球に対する人間のエゴ

私たちは、本来自然に生かされるべき動物であったはずです。

自分たちの生は自然に任せるしかない動物なのです。

しかし、他の動物とは違い、知性を持ち、それをベースとして行動を起こす唯一の動物となってしまいました。

がために、人間のエゴが、自分たちのいい様に自然をコントロールし始めたのです。

勝てるはずもない自然を敵にまわして!

ある意味、社会資本整備とは、自然に打ち勝ち人間が暮らしやすい環境を整えるという人間のエゴから生まれてきたものです。

では、自然に任せるという本来の動物に戻れるかというともう後戻りはできません。

自然の脅威が増すに連れてそれに打ち勝つ社会資本整備が必要になります。

前政権では、「コンクリートから人へ」という馬鹿げた政策を取りました。

確かに社会保障も必要であることは間違いありません。

が、地球という自然を私たちは敵に回してる以上、それに打ち勝つ努力をしない限り、社会保障の議論など、無意味なものになってしまいます。

最近のゲリラ豪雨も台風時の風雨も昔に比べ比較にならないほど激しいものになってきています。

これも人間が作り出した温暖化の影響もあるでしょう。

人間と地球・・・・どちらが勝つかなんて明らかであるにもかかわらず、絶対勝つことのない、攻撃すればするほど報復をする人の最大の敵である地球を相手に打ち勝つため、地球上で唯一孤独な人間が延命作業をしているように思いませんか?

もう社会資本整備をやめて自然に自分の命を委ねてみてはどうでしょう。

というような議論が出てきても良いくらい毎年、地球の怒りに人間が犠牲になっている。

地球に打ち勝つ社会資本整備はないのだが、もう後戻りはできない。

一人の命を守るために社会資本整備は永遠と続く。

2013年9月10日火曜日

社会人としての危機管理の無さ

数日前、NHKの朝のニュースでdocomoが、iPhoneを販売するという報道があった。

流石に僕もそのニュースを信用した。
時期が時期だけに信憑性が高いと判断したからなのだが・・・

ところが、当のdocomoからは、一切そんな発表はしていないとの発表!

皆さんも覚えておられるでしょ

日本経済新聞が一番最初にすっぱ抜いたとかあとでいろんな情報は流れてきた。

docomoからiPhone

確かにビッグニュースである。

しかしこのニュースの裏に、日本の現在の象徴する実態が見えてくる。


日本人の情報に関する危機管理のなさだ。

メディアも、100%とは言わないが、ネタに信憑性がない限り記事にしたり報道したりすることはない。

何らかの信憑性があったからこそ記事にしたのだ。

そして最近、その情報の流出のほとんどは、内部からだという。

それがまだ確信犯ならしようがないとしても、ほとんどが、社員の危機管理のなさから情報が漏れているという。

自分たちの個人情報は必死に守ろうとするくせに、自分の働く場所である会社の情報については、まったくといっていいほど、意識が薄い。


まるであたかも自分でやった自慢話のように、飲み屋でそんな話を耳にしたこともある。

「こいつこんな事ここでしゃべっていいの?」と耳を疑ったものだ。


じつはこれは、情報が流出したという問題では済まない。


日本以外の各国企業は、情報の流出という危機管理のなさを一番嫌う。

これも覚えておられるかどうかわからないが、自衛隊の次期戦闘機購入問題でも、自衛官の極秘事項漏洩から、最新鋭機の購入を断られた経緯がある。これなんかはその典型だ。

私たちが住む奈良県でも、とある外資系ホテルの誘致で、水面下で極秘に進出計画を進めようとしていた某ホテルが、県職員から軽はずみな発言で、撤退した経緯がある。


民間レベルでいえばこれはもっと深刻な事態で数えきれないくらいあるだろうと思う。

島国だからなのだろうか? 単一国家単一民族だからだろうか。

国民全体に、危機管理の重要性は、他国に比べて薄い。

しかし、個人情報となると過剰に反応する。

それを考えると、単純に、過剰な個人主義、利己的考え方しかないところに行き着いてしまうが・・・・・

どんどんグローバル化が進む中で、日本人は、情報に関する危機管理を個人のベースで考えなければいづれ孤立することは目に見えている。

信用されないわけだから・・・・・

しっかりしようね日本人!       悲しい・・・・・・




この書き込みは決して、docomoがそうだったということではありません。

あしからず!

2013年9月9日月曜日

映画館という魔法の箱

最近はあまり見る機会が無くなったが、学生の頃は、映画を漁るように見ていた。

中学3年生で一年間に58本見た。今まで映画館で見た数は、200本は超えている。(最近は年2~3本程度であるが・・・)

当然、ロードショーだけではない。

最近はあまり見かけなくなった、2番館、3番館で、安い金額で古い映画を2本立て、3本立てでやっているのを観に行くのだ。

一日中、映画館にこもっていたこともしばしばあった。

当然1人で観に行く。

一日映画館にこもるのだ。

誰も付き合ってくれないし、変な奴と思われるのも嫌で、友達を誘うこともせず、1人でLマガジンのページをめくって検索していたものだ。

たぶんそんなことをしていたのは、親も知らないのではないだろうか。

どっぷりの恋愛物と、ホラーを覗いては、その当時すべてが対象だった。


なぜそんなにはまっていたのか、自分でもよく解らない。

今から考えれば、そのストーリーに入り込める自分が好きだったのかも知れない。


いまでこそ、自宅でDVDを借りてくれば、その物語は見ることが出来る。

しかし、そのストーリーに入ることは出来ない。

家の中という現実が、無意識に自分を没頭させてくれないのだ。

ある意味、映画館に足を運ぶと言うことは、そのストーリーの中に出向いていくという行為なのだ。

映画館の真っ暗がより没頭させてくれる。

まるで、近未来の映画などにあるバーチャル体験が出来る魔法の箱のような物である。

だから映画館で見るのと自宅で見るのは全く別モンに感じる。

いい映画ほど、映画館で見るべきである。

良くない映画も、映画館で見ると違う感じ方が出来るかも知れない

家でDVD見た後味と映画館で見た後味・・・・全然違うでしょ



さて、次は何を見ようか!!


一度、自分の人生を映画館で見てみたい!! ビックリするやろなぁ・・・・



2013年9月5日木曜日

決断の矛盾

前回、決断した以上は、決してやめないと書いた。

実はあれには、嘘がある。


実は、決断には、二つの決断がある。

一つは、前回も書いたように事を起こす決断である。

当然、決断をした時には、最後までやり切るという強い意思を持って望まなければならない。

当たり前のことである。


ではもう一つの決断とは何なのか?

覚悟を持ってやめるという決断である。

決断を、最後までやり切る責任と捉えてる人にとって、これはすごく矛盾したことになってしまう。

しかし、やめるという決断は存在する。

存在するどころか、実はこの辞めるという決断こそが非常に大事なのである。

事はいくらでも起こせる。

しかしその決断の責任から、それが失敗の方向に向いていることに気づいていても、「決断したのだから」という理由で辞めることができないことが非常に多い。

それが事業の足を引っ張り廃業に追い込まれているケースも多々ある。

このように事を起こす決断より、辞める決断の方が実は非常に重要であり、トータルとして良い方向に進む決断となるのだ。

決断=やり切る
ではない

決断=責任
であると思う。

言い換えれば、決断という言葉に、言葉以上の圧力を感じる必要はないのではないだろうか!

当然、「やり切る」と言う言葉より、「責任」という言葉の意味の方が重いのであるが・・・

2013年9月3日火曜日

決断の基準

決断を迫られた時、あなたは何をベースに判断しますか?

過去の経験でしょうか?

 未来への希望? 

その時の勢い?

色々ありますよね。


でもどれも正しい答えではないのですよね!

逆にいえば、すべてが正しい答えであるとも言えます。

僕は、しいて言うならば、その時の勢いが多いですね。仕事以外は・・・

仕事の時は、そうは行きません。

どちらかというと今までの自分の経験値に則って、攻撃的決断をします。

仕事以外は、本当に、その時の勢いが多いですね。


決断をしてから、行動を起こし、矛盾が生じたなら、決断した方向にぶれが出ない範囲で修正をかける。


決して辞めたりはしません。決断したんですから!!

そうすれば新しい希望の未来もよく見えてくるものなんですよ。


今日はどんな決断を下そうか!!!