2013年4月2日火曜日

ポンペイにて その4

シリーズ その4では、在ミクロネシア日本人について触れてみよう。

その1でも書いたように、スペイン、ドイツの植民地を経て、大戦中は日本が占領していた。

しかし、今のミクロネシア人(私はポンペイ人しか知らないが)のほとんどは、親日派である。

占領中も、ミクロネシア人の人権と主権をしっかりと守り、その領域を侵さなかったことが、いまに至る結果なのだろう。

日本人経営のホテル
終戦直後は、2万人の日本人が住んでいたらしい。

その後一斉退去となり、後に新しく日本人が入ってきた。

50年近く前のお話である。


そして日本人の地道で勤勉な活動が始まる。

のんびり大らかなミクロネシア人の中に勤勉な
日本人が入ってきた。

活躍はめまぐるしいものがあったのだろう。
日本人経営のスーパー

スーパーなどの名前をみるとそれを窺い知れる。

YOSHIE STORE NAKASONE STOREと日本人の名前がついたお店が幾つもある。

流行っているレストランなども聞いてみるとほとんど日本人が経営している。

いろいろ詳しく聞いてみると、政府関係者の中にも、日本人が深く関わっているようで、事実、いまのおFSMの大統領は、MORI大統領と言い、高知県に由来があるらしい。

このよに、今も日本人が第一線で活躍しているし、ミクロネシア人に慕われているのだ。

日本人経営のホテル
たくましい限りである。

ミクロネシア人が、親日である理由の一つに彼らの活躍も大きな一つにあげられると確信する。


彼らの活躍が今のミクロネシアの原型を作っていると言っても過言ではない。

が、しかし、先にも述べたように、まだまだ、未開の地であり、先進国に住む私達が、足を踏み入れるには、勇気と覚悟がいると感じる。

そのように発展を遂げるためには、他人任せではないミクロネシア人の自立が不可欠に強く感じる。

頑張って欲しいものだ。
空港でも日本人をよく見かける

その時も日本人は、お金だけではなく、技術も精神も提供できる唯一の国でありたいものだ。

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