2015年11月23日月曜日

人の力こそが国の力 でも勘違いは地獄を見る

国を造っているのは誰ですか?

もし国民ですという答えを持つなら、国民は、何をしないといけないですか?

主体性が国民にあるなら、その国民は、しっかりと、国民としての意識と、知恵と行動が伴わなければないません。

法律的に国民だからと、個人の主張だけを繰り返していれば、それは、その本人も含めた、衰退にしかならないのです。

事故の主張の前に、本当にあなたはグローバルな考え方を持っていますか?

昔の人達はもっと持ってましたよね。自分の力量の範囲よりも少し上、もしくは広いところを見据えて行動していました。

果たして今の国民ははどうでしょうか?

あなたは自分主体ではないですか?

自分たちの考えは自ら問いただすこともなく正しいと考え、意に沿わないのは、他人のせいにしていませんか?

それがこの国のボトルネックだと僕は思います。

しっかりと自分を見つめ、世間を見つめ、死ぬ直前まで自分を見つめ直し、何が正しいかを導き出し、自分にはそぐわないから批判をするのではなく、正しいと思うことを自ら立ち上げる、そして行動を起こしていく。その一人一人の行動こそ、国民のあるべき姿ではないですか?井の中の蛙大海をいらず   貴方は世間を知って、ちゃんと考え方を持ち、自ら能動的に行動を起こしていますか?
自分の持論です。

義理がもたらすもの

人の繋がり 広がってますか?

自ら必要がないと切った相手以外で人は離れていってませんか?

今、直接のつきあいが無くても何かあったときその繋がりは生きていますか?

生きていると感じているのは自分だけではないですか?

相手が離れて行ってるとしたらなぜでしょうか?

その相手に不義理はしてませんか?

人の繋がりが大切なら、義理は大切です。

出来てない人が本当に多いと感じます。

人との繋がりから新しい出会いや冒険があったとき…元を作った相手にほんの一言 それが相手の心を豊かにします。
でもそれがなければ…離れていって当たり前ですよね。

この差は本当に大きいです。

ほんの少しの義理で人の繋がりは広がっていきます。

できていない人 出来てると思ってる人 残念でなりません。

2015年10月2日金曜日

伏見稲荷の石段を登りながら

一日遅れで伏見さんをお詣りしてきた。

数ヶ月前、石段を登りながらふと気付いたことがあった。

長い石段を登るとき、しんどさからどうしても足下を見てしまう。

そこを意識して階段の上の方を見ながら登ってみた。

なんと楽であろう!! たぶん体力的しんどさは一緒なんだろうが、精神的なもが全然違う。

足下に多少気を遣うが是非やってみて欲しい。


そしてふと気がついた。何事も一緒だ。

目標を定めてそれを見つめながら前に進むのと、目標は定めるが下を向いて進むのでは、結果に大きな違いが出る。

折角目標を定めているのに、足下ばかりを見て進んでいれば、今自分がどんな進捗にいるのかもよく解らない。

しっかりと最終目的地を見据えながら、一段一段上っていくことが大切である。



下りは?

しっかり足元を見つめて降りてください。

降りていくときに先を見据える必要はありません!!(笑)

2015年8月3日月曜日

善と悪

今朝の朝礼で、善悪について質問が来た。

その経緯はここでは書かないが、少しでも善いことをしましょうという投げかけに、善いこととはどういうことなのか?という質問は飛んだ。

人間は、善いことをしようとすると、少しでもより善いことをしようと考え、それが効果的なのかどうか考え、挙げ句の果てに悩んでしまい実行に移せない人が多い。

さて皆さん、善いこと「善」とは?の問に明確に答えることが出来ますか?


僕は、こう答えました。

そもそも、善という言葉は世の中には無かった。

何故なら今、善いと思われている行動は総て人間として当たり前の行動だったからである。

それはどういう基準からくるのか?

それは人間としての道徳に準じるものです。

ところが、その道徳から外れた行動をする輩が出てきた。

それは悪である。

道徳の枠の中は当たり前、そこからはみ出したのが悪である。

故に悪という言葉が先に生まれた。

そして悪に対する反意語として善ができたんだ。

だから善とは、道徳に準じるのも総てですよ。

だから、ふと気がついたこと、自分ためににではなく他人のためになるような些細なこと何でも善と捉えて良いんですよ。

だから悩むことではないですよ。


善=些細なことも含めて人としての当たり前の行動

悪=些細なことも含めて人として逸脱した行動

あくまでも私見です。

2015年7月23日木曜日

賛歌を口ずさみ英雄のごとく旅立て

死の恐怖に犯されない人生をおくれ

人の信仰を貶めるな

人の考えを尊重し自分の考えも尊重してもらえるよう求めよ

人生を愛し全うせよ

あらゆるモノを美しく彩れ

長くいきるようにつとめ大切な人に尽くせ

そしてそのときが来たら死の恐怖にとらわれるモノになるな

もっと時間が欲しい 違う人生をやり直したいと嘆くものになるな

賛歌を口ずさみ英雄の帰還するがごとく旅立て


とあるテロリストとの戦いを描いた映画のラストシーン

ストーリー上戦死したとある大尉の手紙である。


意志あるすべての人々へ

勇気あるところに常に希望は存在する

戦争だけが戦いではない



私たち経済人もま同じ戦士でなければらないと思う。戦う敵を間違うな!

出来る人間とは目的を明確にもって行動する人

人間がする行動には総て目的がある。

それを認識しているかどうかは別として必ず目的が存在する。


それを確認してからする行動と、認識せずにする行動の結果には大きな違いが出る。

それに気付けば良いが、気付かずに事を進めていくと、全く無意味な行動にしかならない。

仕事のように目的が明確なモノほど取り返しのつかないことになってしまう。


ほんの数秒で良い。

なぜそれをするのか自問自答するだけで、明確な答えを導き出すことが出来る。



自分が任されている仕事は何が目的なのか? 


自分が今から参加する会議は何を目的としているのか?

自分がこれから会う人間は何を目的として自分に合うのか?


意識を持ってやってみて!!

これをするだけで劇的に出来る人間になりますよ。


2015年6月22日月曜日

新しいものとのつきあい方・・・大親分が教えてくれたこと

6月19日、福岡の地で三方よしの公共事業推進カンファレンス in 福岡が開催された。

すべてにおいて素晴らしいカンファレンスであった。

建設業の存在意義。地域において目指さなければならないもの。

いろんな意味で、自分が経営理念に掲げ目指してきたものが明確に間違っていなかったことを確信できる時間であった。


そんな中で、一つの発表か自分に衝撃を与えた。

高知県磯部組 宮内保人氏が、発表された内容である。

建設業における3Dの活用についてである。

今建設業は、大手を中心に、BIMやCIMといったような、3Dを活用した施工が次の時代の施工技術に進もうとしている。

BIMやCIMの詳しい説明は、Googleさんに聴いてみてほしい。

我々も、いち早く取り組もうと躍起になっているところだ。

3D技術を施工に使う・・・・・・先ずはソフトの導入・・・そしてそのソフトを使いこなす・・・・・・・コレが普通の手順である。

そしてそのハードルが高いために踏み込むことが出来ない。



しかし、今回の発表は、3Dとはなんぞや?

モノの本質は何処にあるのか?



それをしっかりと解った上でその機能を取り入れているのか?ということを明確に教えてくれた。


人間はどうしても、機能や性能に目が向いてしまう。

自分にとってどうかというところに着目しすぎているからである。

いらぬ観念がそれを覆い包み、機能や性能、そこからくる結果が自分にとってどうかとしか見えていない。

それは決して間違いではないのだが、常に相手目線に立つことを主眼に置いて仕事する立場になれば、3Dのような先端技術はもっと大きな可能性を引き出せる。

謳われている機能は性能だけでは無く、モノの本質が解れば、その使い道は無限に広がるし、その導入にも明確な違った目的も見えてくる。

我々地位建設業において、素人である住民が顧客である以上、あらゆる技術を使いわかりやすく理解を得ることこそ必要なことである。


理解に苦しむ人に絵を描いて説明をする。そうすれば理解しやすくなる。

今までもやってきたことである。

そもそも3Dの原点はそこに集約される。

それが、パソコンに替わっただけなのだ。

BIMやCIMはその延長線上にあるモノである。


自分たちが得る機能や性能は二の次で、当たり前に付いてくる副産物と考えても過言ではない


ありがとう。大親分 これぞ原点回帰ですね