2015年7月23日木曜日

賛歌を口ずさみ英雄のごとく旅立て

死の恐怖に犯されない人生をおくれ

人の信仰を貶めるな

人の考えを尊重し自分の考えも尊重してもらえるよう求めよ

人生を愛し全うせよ

あらゆるモノを美しく彩れ

長くいきるようにつとめ大切な人に尽くせ

そしてそのときが来たら死の恐怖にとらわれるモノになるな

もっと時間が欲しい 違う人生をやり直したいと嘆くものになるな

賛歌を口ずさみ英雄の帰還するがごとく旅立て


とあるテロリストとの戦いを描いた映画のラストシーン

ストーリー上戦死したとある大尉の手紙である。


意志あるすべての人々へ

勇気あるところに常に希望は存在する

戦争だけが戦いではない



私たち経済人もま同じ戦士でなければらないと思う。戦う敵を間違うな!

出来る人間とは目的を明確にもって行動する人

人間がする行動には総て目的がある。

それを認識しているかどうかは別として必ず目的が存在する。


それを確認してからする行動と、認識せずにする行動の結果には大きな違いが出る。

それに気付けば良いが、気付かずに事を進めていくと、全く無意味な行動にしかならない。

仕事のように目的が明確なモノほど取り返しのつかないことになってしまう。


ほんの数秒で良い。

なぜそれをするのか自問自答するだけで、明確な答えを導き出すことが出来る。



自分が任されている仕事は何が目的なのか? 


自分が今から参加する会議は何を目的としているのか?

自分がこれから会う人間は何を目的として自分に合うのか?


意識を持ってやってみて!!

これをするだけで劇的に出来る人間になりますよ。


2015年6月22日月曜日

新しいものとのつきあい方・・・大親分が教えてくれたこと

6月19日、福岡の地で三方よしの公共事業推進カンファレンス in 福岡が開催された。

すべてにおいて素晴らしいカンファレンスであった。

建設業の存在意義。地域において目指さなければならないもの。

いろんな意味で、自分が経営理念に掲げ目指してきたものが明確に間違っていなかったことを確信できる時間であった。


そんな中で、一つの発表か自分に衝撃を与えた。

高知県磯部組 宮内保人氏が、発表された内容である。

建設業における3Dの活用についてである。

今建設業は、大手を中心に、BIMやCIMといったような、3Dを活用した施工が次の時代の施工技術に進もうとしている。

BIMやCIMの詳しい説明は、Googleさんに聴いてみてほしい。

我々も、いち早く取り組もうと躍起になっているところだ。

3D技術を施工に使う・・・・・・先ずはソフトの導入・・・そしてそのソフトを使いこなす・・・・・・・コレが普通の手順である。

そしてそのハードルが高いために踏み込むことが出来ない。



しかし、今回の発表は、3Dとはなんぞや?

モノの本質は何処にあるのか?



それをしっかりと解った上でその機能を取り入れているのか?ということを明確に教えてくれた。


人間はどうしても、機能や性能に目が向いてしまう。

自分にとってどうかというところに着目しすぎているからである。

いらぬ観念がそれを覆い包み、機能や性能、そこからくる結果が自分にとってどうかとしか見えていない。

それは決して間違いではないのだが、常に相手目線に立つことを主眼に置いて仕事する立場になれば、3Dのような先端技術はもっと大きな可能性を引き出せる。

謳われている機能は性能だけでは無く、モノの本質が解れば、その使い道は無限に広がるし、その導入にも明確な違った目的も見えてくる。

我々地位建設業において、素人である住民が顧客である以上、あらゆる技術を使いわかりやすく理解を得ることこそ必要なことである。


理解に苦しむ人に絵を描いて説明をする。そうすれば理解しやすくなる。

今までもやってきたことである。

そもそも3Dの原点はそこに集約される。

それが、パソコンに替わっただけなのだ。

BIMやCIMはその延長線上にあるモノである。


自分たちが得る機能や性能は二の次で、当たり前に付いてくる副産物と考えても過言ではない


ありがとう。大親分 これぞ原点回帰ですね








2015年5月16日土曜日

何から守るのか?

家族を守るためには、それを取り巻く環境を知らなければならない。

家族を守るのに家族しか知らないのは、結局エゴでしかない。

守るという行為は、どういうことなのか?

何から守るのか?

語れる人いますか?

ほとんど人語れますよね。

でもその意識が弱い,もしくは、間違っているのが現代人ですよね。

強く持ってるという人も、その敵を間違えていませんか?

会社の同僚は敵ではないですよ。

あなたは誰と戦っていますか?

自分の一生ってどういうことですか?


夢を見れない日本人たちへ

夢を見れないのは誰の責任でもなくあなたの責任です。



2015年5月13日水曜日

中立という使い勝手のいい言葉

マスコミ、メディア関係者の多くがよく使う中立という言葉。

本来は、決して、批判される言葉ではないが、今の時代、中立という言葉を使う人間に真剣さを感じることはない。

というより、中立を口にする人間善人に無責任さを感じてしまう。


マスコミにおいては中立という言葉を巧みに使った洗脳、誘導。客観的に誰が見ても中立せない報道だらけの中で、よくもやすやすと中立を口にするなぁと呆れてしまう。

本当にその言葉を使いたいなら、もっとしっかり勉強をしなさいよ。

本来、メディア関係者は、他の人の何十倍もの知識と経験を持ったものだけがその知識を使い客観的に中立の立場を判断しなければならない。そんな人達だけがメディア、マスコミというフィールドで活躍することが許されるべきだが、今も関係者は、他の社会人よりも知識が乏しく判断できない連中たちが、例外なく総てである。

間違いなく例外は居ない。にもかかわらず堂々どうそのフィールドで活躍している。

その責任の重みを知ってる人は一人もいない。
多数派や、国民目線が中立ではない。大きく勘違いしている輩が本当に多すぎる。

反論したい人はどうぞ!

そして、それを知らずに、洗脳されている人達もまた然り。どちらかに偏れば、意見や批判を買う。だから中立・・・・これ正しいですか?

確かに中立という選択もある。であるならば、中立である理由をしっかりともたなければならない。

無党派層といっていれば誰からも批判されないと思っている人達と全く一緒である。

しっかりと主張を持ってる人間からすればちゃんちゃらおかしい。最大のお笑い種だ。

主義主張をしっかり持ち議論ができて初めて人間だ。

もし主張をしたいなら、一切、中立という立場は使って欲しくない。



2015年4月19日日曜日

リスク回避の手助けの仕方 仕方によっては・・・・

その人のフィールドに行って引き上げてあげるのが手助けでは無い。

その人がこっちのフィールドに来て戻らないように助言するのが手助けなんだ。

迎えに行けば、それはその人のリスクにならない。 

その人にリスクを負わせないのは、その人の成長には全く繋がらない。

違うフィールドに行くリスクはその本人しか負えない。

それがわかったものだけが成長という成果を得られる。


2015年4月16日木曜日

客観と主観、そして常識との関係

今日、とある人と客観と主観のお話をした。

主観は、説明するまでもないことだと思う。
客観は?何をベースに客観なんだろうか?

悩んでいる人は非常に多いと思う。

そして非常に多くの方が間違えている。

客観視するとは常識と比べる・・・もしくは常識から判断すると・・・
と思っている。

そもそも、常識とは?何を持って常識というのか?

実は、常識の定義などない と思っている

常識とは、個人が常識と思っているにすぎないのだ。

もしくはそう思って居いる人が多数を占めるという定義にしかならない。

常識とは人間が勝手に定義したものに過ぎない。

ということは、常識すらも主観と言える。


では客観とは、何を持って客観というのか?

この定義は、非常に難しい。

僕なりの答えは持っている。

それには、数多くの経験が必要だ。

それも、限られた枠の中だけでは無く、あらゆるフィールドにおける経験だ。

そこからしか個人の客観的見方とは出てこないのかもしれない。

あえて言うなら、道徳的観点から見たこと  というのが僕の見解 

あっ、辞書にはちゃんと書かれてますよ

それぞれの考え方でね