2014年12月22日月曜日

必要のない単語

幸せの価値観は本当に人それぞれ。

不幸の価値観も人それぞれ。

決してそれは他人が判断するもんじゃないし、また他人に押しつけるものでもない。

だからこそ手をさしのべるという行為は、簡単なものではないし、普通の人にできるもんじゃない。

手を差しのべるという行為に、少しでも差しのべる側の主観が入ってはいけない。

主観が入った瞬間にそれは、本来の意味の差しのべるにはならない。

だから故に、最高の覚悟がいるはずである。

そしてそんな覚悟を持ってる人達がどれだけいるのか・・・


まして現代のボランティアという言葉でくくるもんじゃない。

僕はボランティアの本来の意味はすばらしいと思う。

しかし、今社会が使っているボランティアは全く勘違いも甚だしい。

平和という単語と同じく使いたくない単語の一つだ。

ボランティアをするな、手を差しのべるなと言うことを言っているのではないですからね。

上段に立って手を差しのべてる、ボランティアをしていると声を出して言うものではないのですよ。

本来は、生活の中に浸透しているべきもののはずだから。

「手をさしのべる」「ボランティア」は言葉なんかなくていいことなんです。人間が生きていく上に置いて本来身につけてなければならないものですから。

この言葉が世にもてはやされるようになって、日頃の当たり前の行為すらもてはやされ、それを求めるエゴの行為が増えちゃった。

「○○さんってちゃんと周りの面倒も見れて凄いですよねぇ」

こんな言葉よく耳にするけど、これ褒めることですか?僕は当たり前のことだと思うのですよ。

こう言う他人に手をさしのべる些細な当たり前の行為を褒める人達って、自分のことどう思ってるんですかねぇ。

人間失格でしょ。


悲しい限りですね。

人間本来の生き方をしたい。

自分のできる範囲で相手がしっかりと望んでいること。双方が少しのずれもないことを日頃から提供している。

それで充分だと思う。

それが本来の意味だと僕は思っている。

それを超えた行為、それには本当に相当の覚悟がいる。損な覚悟を持って手をさしのべてる人、ボランティアをしている人がどれだけいるのか?

唯一背伸びをしてはいけない人間の行為、行動だ。




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