2015年4月19日日曜日

リスク回避の手助けの仕方 仕方によっては・・・・

その人のフィールドに行って引き上げてあげるのが手助けでは無い。

その人がこっちのフィールドに来て戻らないように助言するのが手助けなんだ。

迎えに行けば、それはその人のリスクにならない。 

その人にリスクを負わせないのは、その人の成長には全く繋がらない。

違うフィールドに行くリスクはその本人しか負えない。

それがわかったものだけが成長という成果を得られる。


2015年4月16日木曜日

客観と主観、そして常識との関係

今日、とある人と客観と主観のお話をした。

主観は、説明するまでもないことだと思う。
客観は?何をベースに客観なんだろうか?

悩んでいる人は非常に多いと思う。

そして非常に多くの方が間違えている。

客観視するとは常識と比べる・・・もしくは常識から判断すると・・・
と思っている。

そもそも、常識とは?何を持って常識というのか?

実は、常識の定義などない と思っている

常識とは、個人が常識と思っているにすぎないのだ。

もしくはそう思って居いる人が多数を占めるという定義にしかならない。

常識とは人間が勝手に定義したものに過ぎない。

ということは、常識すらも主観と言える。


では客観とは、何を持って客観というのか?

この定義は、非常に難しい。

僕なりの答えは持っている。

それには、数多くの経験が必要だ。

それも、限られた枠の中だけでは無く、あらゆるフィールドにおける経験だ。

そこからしか個人の客観的見方とは出てこないのかもしれない。

あえて言うなら、道徳的観点から見たこと  というのが僕の見解 

あっ、辞書にはちゃんと書かれてますよ

それぞれの考え方でね


2015年4月3日金曜日

教育勅語 戦後の大学教育ってなんだったんだ?


そもそも大学は、なんのために作られたのか? 

その本来の目的とは大きくかけ離れた施策が打たれだしたのが、戦後である。

起こるべくして起こった学生運動がその事実を物語っている。

そしてそれは今薄れつつあるがまだその思想は、根深く残っている。

日本を骨抜きにするために、打ち出した施策が、子供から洗脳するという、壮絶な計画だった。

だから先ず大学を補抜きにした。そしてそこから巣立った教師たちが、子供を骨抜きにするという大胆かつ徹底した施策

そしてその計画は、見事に成功し、日本は骨抜きにされてしまった。

そこにつけいったのが隣国だ。

漁夫の利が得意な隣国は、恥ずかしさも忘れ、恨みはすれども感謝せず。

日本が骨抜きにされた同じ施策を持って、国民を洗脳し、それを事実としようとしている。


こうなったそもそもの張本人は、○○○○なんだよね。

しかし今、その国は一番日本を必要としている。失策であったことも認めている。

もう一度大切な日本と取り戻すためにも、大学を含めた教育改革は必須だね。

やっぱり全ては教育から

教育勅語 
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此
レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ
兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ
修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開
キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無
窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々
服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日
  御名御璽

12の徳目

  1. 父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
  2. 兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
  3. 夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
  4. 朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
  5. 恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
  6. 博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
  7. 學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
  8. 以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
  9. 德器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
  10. 進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
  11. 常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう)
  12. 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機があったなら自発的に国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)


2015年3月21日土曜日

道を知っていることと歩くことは違う

未来の道が自分をここに導いたのではない

歩んできた道が自分をここに導いたのだ

決断することは大事なのだ

でも、決断した後になぜ決断したのかという理由を知ることはもっと大事である。

変わらないものを信じるものだけが変えることができる。

変わらないものを信じることができないものに本当の変化をを作り出すことはできない。


そりゃそうだ。

2015年3月1日日曜日

ありがとう

感謝を伝える言葉である。

あなたはありがとうという言葉を、1日に何回ぐらい言っていますか?

では、あなたは、1日何回くらいありがとうと言って貰っていますか?

一回、意識してみてください。

ありがとうを言って貰うって、ものすごく大変なことなんだ。

ありがとうを言って貰うことが目的ではないが、本当に感謝して貰い、なおかつそれを口に出して貰うというのは並大抵のことではない。

だからこそ、ありがとうという言葉を大切にしたいものだ。

だからこそ、気持ちを素直に、相手に伝えたいものだ。

2015年2月26日木曜日

使うところを間違えれば・・・

客観的分析 主観的解釈

どちらも非常に大切であるが、使う場所を間違えればそれは即致命傷となる。

なぜその判断が出来ないのだろう。

人間の甘えや目先の優しさという隙間がそうさせるのだろうか?

結果としてそれは優しさでも何でも無く関わる全員を貶めることになるのになぜ気づかない?

結局目指す目標が見えてないか、理解できてないのかなぁ。

悩んでしまう。

春が近いなぁ

2015年2月22日日曜日

戦うべき相手は誰なのか?

戦争のことを言っているのではない。

あなたは常に、戦い無くして生きていると思っていますか?

今日、大企業病という書き込みをフェイスブックで見つけシェアをした。

大企業病は自体を書くつもりはない。大企業病がなぜ起こるのか?

を少し考察してみたい。

理由は、多岐にわたるのだろうが、結論を先に言うと、自分の人生の目標をちゃんと設定できていないのが要因でないかと考える。

もしそれを、しっかりと設定できていたとしても、勘違いして設定いる人は多い。

社会人として、組織の一員として働くのであれば、その会社の掲げている目標が、自分の目標、もしくはその目標を達成した先で自分の目標にならなければならない。

大いなる個人目標は、今目の前の目標の達成の先にしか存在しないはずである。

個人の目標
  ↑
組織の目標
 ↑
自分の行動

とならなければならないはずである。

そうすることで、組織の目指す目標に対して、しっかり行動が起こすことが出来、一人の力が企業成長に大いにつがっていく。

その成功が自分の成功につながる。

ところがである。

この簡単であるが重要なロジックを理解せずに

会社の目標 
個人の目標
個人の行動

もしくは

会社の目標 個人の目標
   ↑    ↑
   自分の行動

となっていることが多い

会社が掲げる目標は、各社いろんな事を掲げられているが、ほとんどが行き着くところ企業の成長と社員の安定生活であるがそれを汲まずに自分で別の目標を掲げてしまう。

特に下の図は、状況により 組織か個人かで使い分けている。これでは目標がないのと一緒である。

上記のようなことが起これば、組織を構成する個人はどうなるか?

目標を安直に個人に向けるわけであるから、その時点で競う相手が変わってしまう。

本来ライバル企業や消費マーケットにいい意味で戦いを挑まなければならないのに、設定する個人目標に組織目標が組み入れられてないため、目標達成のために戦いを挑む相手が、組織を同じくする同僚の人間となってしまうのだ。

これでは企業競争力も何もあったもんじゃない。

とあるコンサルティングの知人からも同じ事を聞いた。

全く関連の無い部署で、調査したら驚くことに、全く同じ結果が出たというのだ。

家庭の安定を目的とする人が多い(これは個人目標。これでかまわない)

その目的達成のために、企業目標をしっかり把握し、その業務の結果から役職を勝ち取り、結果として、家庭の安定になる。(これが本来)

ところが、個人目標を直接求めるため、同僚などが敵になり、本来の企業目標を考えずに、他人との比較で行動を起こしてしまう。(これでは本末転倒)

全く同じ事である。

大企業に入ったという満足感が、次の目標設定を大きく狂わし、安定した生活を目先の目標に設定してしまえば、自ずと大企業病になってしまう。