2014年3月29日土曜日

自分ってどんな人間か?知ってみることが最強の強みに繋がる

自分はどんな人間か知っていますか?

大概の人は知っているという。

でも、本当に知っていますか?

たとえばあなたが、問題や失敗を起こしたとき、反省しますよね。

失敗した原因、追求しますよね。一人で・・・・

そしてそこに出てきた答えって、どんな答えでしょうか?


・責任感というものをはき違えていた。

・プロとしてのプライドが、報告を遅らせた

・つい、人見知りして声をかけるタイミングを逸してしまい、ドンドン言い辛くなってしまった。

 など


山ほど、失敗した原因は出てきます。


ここで出てきた原因は、確かにその問題なり失敗を引き起こした要因でしょう。

多くの人は、ここで追求を辞めてしまい、この問題を引き起こさないシステムを構築しようとします。

実はこれが一つ目のミスです。


・責任感というものを再度考え直す

・プライドを捨てる

・人見知りしても、覚悟を持って人に話しかける。

 など

確かにそれも大切ですが、同じ失敗したこと無いですか? それも何度も・・・・

再発しないように気をつけてるのに、再発してしまう。

なぜでしょうか?


人は、ここで二つ目のミスを犯してしまいます。


それは、再発防止に考えた解決策を、忘れてしまったからと判断してしまうのです。

あなたが最初に考えた失敗を引き起こした原因、それは本当に根本の原因なのではないでしょうか?

実はそれが根本の原因で無いから、何度も同じ失敗を繰り返してしまうのです。

実はここで出てくる原因は表面上の問題であって、実は本来引き起こした元の原因では無いのです。

確かに表面上の問題を発生させない努力は必要でしょう。


しかし人間は、忘れるという超得意な特性を持っています。

忘れてしまったとたんに、再発する可能性はほぼ100%となります。

ここまでが、問題や失敗を引き起こした原因を、一人で見つけ出し解決しようとした多くの結末です。



では、本当の原因は何なのか?

先にも書いたように、表面上の原因を突破し、その奥にある本来の原因に到達しなければならないのです。

表面上の問題を引き起こしている、本来の原因を白昼に引っ張り出さなければならないのです


どうすれば、その原因を引き出せるのか?

実はこれは、自分で引き出すことができる人は殆どいません。

なぜなら、それこそが自分のWeekPointだからです。



ではなぜ、WeekPointを自分で引き出すことができないのか?


人間の殆どは、昔、自分のWeekPointを知ってたはずです。

しかし、人間は社会の中で自分を構築するために、それを隠そうとします。

隠すことによって、自分が世間に順応で優秀な人間であることを世間に認めさせようとするのです。

そして、そこで構築された人間として世間と付き合っていくうちに、そのWeekPointを忘れてしまう。

ここで、本来の自分とは違う、表面上の自分ができあがります。

無意識の中に、WeekPointを持っているのにも関わらず、WeekPointが無いと勘違いしている人間のできあがりです。

これが、大きな凡ミスや、うっかりからの大きな問題を引き起こしてしまい、尚且つそれを再発させてしまう要因なのです。


では、どうすればそれに気付くことができるのか? 

自分のWeekPointはどうすれが、再発見できるのか?


答えは自分で見つけようとしないことです。


実はこのWeekPointは、無意識のうちに自分で隠してしまったものなのですから、ほぼ自分で見つけ出すことなんてできません。

もしそれができるとすれば、よほど自分を客観的に見ることができ、そして知ることに対する覚悟ができた人間でしょう。(それができれば、隠しもしてないでしょうけど・・・)


自分で見つけることができないのなら、他人に頼むしかありません。


自分で隠したものは他人に見えてるはずが無いと考えるかも知れませんが、あなたは、自分の周りの人がどんな人間か考察したことはありませんか?

その本人が思っているのと違う答えを指摘したことあるでしょう。

気丈な振る舞いをする人のちょっとした行動に小心者を見たことはありませんか?


同じ事です。

自分で隠しているつもりでも、実は他人には、非常によく見えているものです。

隠していても、無意識のうちに行動や言動に出ているものなのです。

周りは知ってて、自分は忘れて知らない。これが、自分のWeekPointなのです。

ですから身近な人に本音で、自分てどういう人間なのか? 

自分の悪いところって何処なのか?

また良いところも聞いてみる。

それが一番の近道です。一人では無く複数に聞くことがより確実です。


これには相当の覚悟がいります。

人間は自分の本音を知るのを怖がります。

そして場合によって、言われた内容で腹が立ってきます。

そこを冷静にしっかりと受け止めば、それが自分のWeekPointで有り、それを冷静にしっかり受け止め、それに対する対策をするだけで、自分が社会の中で起こしてしまうあらゆる凡ミスや、うっかりミスを大幅に減らしてくれるはずです。

ミスを犯す度に、そのミスに対しての表面上の具体的対策がドンドン増えていく。

増えれば増えるほど、対策を実行できるはずなどありませんし、再発を繰り返します。

しかし、根本の自分のWeekPointをしっかりと理解し、それに対する少数の対策を講じるだけでミスは殆ど無くなってしまうのです。


大きなことをすることも大切です。

しかし、その裏側で、ミスを繰り返さない自分を構築することも同時に大切なのです。

これは決して守りではありません。

自分がやりたいことを成就し、他人にそれを認めさせる最大の近道でしょう。

なぜなら、自分のWeekPointを解った上で行動起こしている人は、自ずと他人から無意識のうちに信頼を勝ち取っています。

覚悟を決めて、自分を知ってみませんか?

凄く簡単でしょ!!



以下はFBに投稿したものを転載

今日、とある社員から、「社長、うちの嫁さんに僕がどんな人間か一回書いてみてくれ!と頼んだら、一杯出てきましたわ〜!!」
何のお話かというと、
実は失敗をした社員に「なぜそんなことになったのか?原因を考えてごらん」と投げかけました。

責任感の勘違い
しょうもないプライド
人目が気になる
等々

でもこれって全部表面上の問題点なんですよね
表面上の問題点は個人で書き出すことはできるのだが、その原因を作っている内なるもの・・・それは中々自分では見つけ出すことができないものです。

だから
「他人に聞いてごらん! 身近な人に!!」
その社員はそれを実行しただけなんです。
でもね、その社員、今日、僕の部屋に入ってくる顔が元気なんですよ。
「やっと解りましたわ。俺って言う人間が!!何処に問題があるかよく解りました。」
そうそれに気がつけば、あなたはもう失敗をする確率は極端に減るはず。
何故なら自ら問題を引き起こす原因の根本に気がついたんですから
人間は、自分のウィークポイントを無意識のうちに隠そうとします
隠すことによって、自分が順応で優秀な人間であることを構築しようとします。
そうしている間に、そのウィークポイントを忘れてしまう。と言うかなかったことにしてしまう。
だから自分の行動から、大きな凡ミスを犯してしまうんです。
そのウィークポイントをしっかり自覚している人間って実は強いんですよね。
そして、自分の性格や行動から導いてしまう失敗が極端に少ないんですよ。
あなたは自分の内なるウィークポイント知っていますか?
一度覚悟を決めて、聞いてごらん
周りの人はそれを知っていますよ。必ず!!




2014年3月26日水曜日

平和という意味はよくわからない。

皆さんにとって、「平和」とはどういう意味ですか?

実は僕にとって、この「平和」という言葉がよくわからないのです。

ずっと感じているこたんですが、考えれば考えるほどよくわからない。


平和の定義ってんなんなのか?

戦争のない世界?

いがみ合いのない人間関係?

変化の少ない穏やかな空間?

愛が溢れている社会?


僕にとっては、どれもしっくり来ない。

「平和」の裏側にあるものはなんんあのだろう?

解らない。

にもかかわらず世の中には、「平和」という言葉が横行している。

どうも僕には「平和」という言葉が、まやかしの言葉に聞こえてしようがない。

みんなが使っている万能用語のような「平和」という言葉って、なんか逃げに使ってませんか?


こんなことを書いてる俺が平和なのだろうか?


2014年2月17日月曜日

地球との進化と成長を止めてしまった現代人

地球 小さい惑星10個が集まって46億年前に今の地球が完成した。

おかげで、いまでも地球は内部にばく大なエネルギーと、強力な引力を持ち、内外から何が起こってもおかしくない危険にさらされた星であると言うことだ


6億年前と2億年前の全球凍結 

2億5千年前のシベリア大陸での地球大噴火 

大陸大移動 

6500万年前の巨大隕石の衝突 

その度に我々生き物は絶滅しかかってきた 

今更ながら、我々、ヒトは、奇跡的存在であると言うこと 

そしてこれから先も、絶滅の危機の方がずっと大きいと言うこと


地球のお勉強の一番最後のコメントに驚きそして共感した。

「ある意味、現代の人間は総てが与えられ本当の危機というものを感じていない。遺伝子
レベルで生物の進化を見たとき、過去の例から、生命もしくは生存の危機が次世代への進化と成長を促してきた。そう考えると、今のヒトは、進化と成長を止めている可能性がある。」

確かにその通り!!

遺伝子レベルで無くても、ピンチが人間の成長を促す。

やはり、どのレベルでもリスクを負わないと成長は無いと言うことを最後に学びました。

あーーー 成長が止まると言うことは維持ではなく、衰退だそうです!!

2014年2月4日火曜日

片道切符

ミクロネシア、ポンペイでビジネスがスタートする。と言っても僕はお手伝いだけ 具体的な動きは、ほぼ何もしてない。

しかし現地での経緯を聞いていると、長い道のりでいろんな弊害があったようだ。

しかし、それもこれも強い意思があったからここまで来れたのだろうと確信する。

初めてミクロネシアの夢を聞いたのはいつだっただろうか?

あれから何年経っただろうか?

全ては、強い意思と「ダメなら帰ればいい」という、甘えと断ち切ったからこそできたことだと思う。

改めて感心する。

形式上、現地外国人法人の社長におさまってはいるが、これからは精一杯日本での支援をしなければならない。


何事にも、往復切符はない。片道切符の覚悟を持たなければ成就しないということだ。

僕は人生に往復切符なんてあり得ないと思っている。

だから、全てを大切に生きなければならない。



2014年2月2日日曜日

男女とは

男性は男性として、女性は女性として、それぞれの尊重は必要である。

しかし、それだけではダメなんだ。

男性、女性だけではなく、人間としての見方が大切である。

それは決して、男性女性という性で分けられるものでなく、生きて行く上に置いての必要なファクターであると考える。

男性と女性という性だけで区別をして、世の中を生き抜いて行こうとすると、無理が生じる。

何よりも視野を思いっきり狭めてしまう。

一人間として接することができれば、対象者は世界中に広がる。

しかし、男女という、性ありきで判断するとそうはいかない。

恋愛の問題、性的被害の問題、人間としてのドロドロとした部分が、いきなり表に噴出してくる。

それを拒否することにより、人間という大きな枠から、同性が楽であるという閉鎖的空間で判断しなければならなくなる。

勿体無い限りだ。これは女性に多く見られる光景だが、実は女性に限ったことではない。

男性側にも、別の意味で閉鎖的空間は存在する。いろんな意味のハラスメントが世に多くあるが、それを意識しすぎるということだ。

意識しすぎるがために、女性を遠ざけてしまう人が多い。確かにハラスメントはいけないことではあるが、本当にそこまで意識して、敢えて視野を狭める必要があるのだろうか?

そこにも、性を意識するから起こる問題ではないのか?


なぜ、人間として付き合えないのか?

よく、男女間に、友情がありえるか?とか、性を意識しない付き合いは存在するかという馬鹿げた質問がある。

僕は十分あり得ると思っている。

ただし絶対ないかというとそうではない。

なぜなら、男女の意識や感情は、時間軸の中で語られるものであり、経過とともに、変化して行くものと考えているからだ。

これって当たり前ではないですか?

人間として付き合い、それがいずれ性的感情として男女を意識するようになってもそれは自然であり、また、永久に意識しない関係であってもそれは不思議ではないのだ。

事実、そんな関係をうまく構築している男女は数多くいる。

逆に、最初からそれを意識して、拒否したり、構えてしまう方が不自然であり勿体無くてしようがない。

性を問う前に、まず人として、そしてその次に、その人が、何をしている人なのか(決して役職ではなく)を考えて付き合えばいいと思う。

あーーー一つ勘違いしてはいけないのは、一般的男女の意識はしないとダメですよ。

男女は物理的に作りが違うわけですからね。

意味わかりますよね。

2014年1月18日土曜日

人間の成長とは

前にも書いたと思うが、会えて再度書いてみようと思う。

経験ってなんなのか?

辞書を引くことは皆さんにお任せをしよう。

ここでは、漫画家のかわぐちかいじ氏か作品の中で書かれているフレーズを紹介する。

「経験は人間が成長する糧である」
がしかし、
その経験が自分にマイナスだったからと言って、
「人間は、一度経験すると、経験してない自分に戻ることは決してない」

経験は人間の成長にとって、絶対必要なものだがよほどの覚悟がない限り経験はできない。という表裏一体的なことを書いている。

ぼくは、経験という説明は、これが全てであると思っている。

経験の結果、自分にとって良くない答えが出たとしよう。

その時人間は、あー何故あんなことをしてしまったのかと反省をする。

そして多くの人たちは、その経験から、同じ過ちは繰り返さないことを誓う。

これが失敗の経験から導き出される、多くの人が正しいと感じている答えなのだ。


本当にそう思いますか?

確かに、何度も同じ失敗を繰り返してはダメだろう。

しかしその経験談から導き出される答えがこれでいいのだろうか?

そして失敗しない自分を成長したと感じる人たちが多い。

特に、引退組も含め、ベテランの領域に入った社会人に格段に多い。

もういい歳なんだから、失敗なんて出来るか!ということなんだろうか?

僕は決してそうは思わない。新しい経験を求めている人とそうでない人は、生き生き感がまるで違う。

死ぬ直前まで、人生最高を続けるためには、実は未体験ゾーンへの挑戦でしかないと僕は思う。


かわぐちかいじ氏のフレーズに戻るが、経験は、人間の成長の糧であるが、経験するためには覚悟と努力が必要であるといことだ。

今の社会は、この覚悟と努力を認める社会になっているのだろうか?

自分の子供に、経験を阻害する発言や行動をとってはいませんか?

この子は、まだ責任も覚悟もわかっていないから、やってはダメなんです。と、いう親がいる。

じゃぁ、あなたが責任と覚悟を持ってあげればいいじゃないですか!

そして盾になって、行動をさせ、経験から良し悪しを学ばせればいいと思う。

あなたにとって、子供が責任や覚悟がわかるときっていつですか?

あっ、これ放任主義じゃないですよ。

放任主義は、常識的にやってはいけないことまでやらせちゃって、親は責任取りませんから!


勘違いしないでくださいね。


2014年1月8日水曜日

「思い込み」 これも主観と客観のお話

日本人は、良く他の国の文化や思想、ルールに触れた時、「信じられへん」「ありえへん」「そんなことようできるわ」という少し馬鹿にした発言をよく耳にする。

私たちの生活習慣の違いで日本人から見た時の非常識さを安直に表現した言葉である。

特に食べ物となると、それがより顕著になる。

日本人が口にしないもの、そしてそれが獣系であれば、ほとんどゲテモノという言葉を使って処理をしてしまう。

確かに率直な素直な意見で、そういうことを言うなと言う必要はないだろう。

しかし、私たちがおかしいと思っていることは、実は全て彼らの当たり前の行動であることが多い。

日本人が主観で物事を判断して、感想を口に出しているに過ぎないのだ。

他国の人達は、私たちとは、物理的環境も文化も、思想も、違うのだ。

それを理解せずして、その言葉を発するのは如何なのもか?

自分たちが世界のスタンダードで、そこから外れることは全てイレギュラーという判断を人間は往々にしてしまう。

そこから抜け出し客観的に物事を判断することが大切だ。

何もその文化を取り入れと言っているわけではない。が、理解する努力はしないといけないだろう。


一つ例を挙げよう

皆さん知っていますか、先進国の中で、一番のゲテモノ食いと言われているのは日本人であることを!

そしてそれは何を指して行っているのか?

実は「生卵を食す」ということが世界中で日本人が一番のゲテモノぐいと言われている所以である。

他国の人達にとって生卵をそのまま食すと言うことが信じられない行為なのだ。

昔、映画「ロッキー」で、主人公が強くなるため、スタミナを付けるために、コップに生卵を何個も割り、飲み干すというシーンがあったのを覚えているだろうか?

あれは、決して日本人を意識してるわけでは無いのですが、それだけえぐいことをしなければ強くなれないという安直なメッセージを送る演出だったと聞いている。

ちばてつやさんのゴルフ漫画「明日天気になあれ」でも、主人公の向 太陽君が、海外での試合に臨む前、日本人は、卵かけご飯を食べないと力が出ないと、ホテルの厨房にご飯と生卵を要求し、それを掻き込むというシーンがありますが、やはりその後ろでものすごく嫌な顔をしたホテルスタッフが書かれている。

知らなかった人、ビックリするでしょ。

でもこれが世界のスタンダードなんですよ


このように、主観で物事を見ると、自分が中心になり、自分の行為総てが正しく、それ以外はおかしいと判断してしまう事になる。

主観で物事を判断すると言うことは、思考を止めてしまい、新しい知識を入れないと言うことに繋がってしまう。

確かに間違いを受け入れる必要は全くない。しかし、ハナから、それは間違いだと判断をして拒絶するのはいささか、軽率な行動では無いだろうか!

思い込む前に、一度相手をしっかりと見ると言うこと、理解しようとする行動が必要である。

隣の家には、隣の家のルールや週間があるように、国家間ではそれはより顕著になる。

それを理解した上で、物事の判断をすれば、より相手を知ることができ、次の展開が大きく変化するはずで、自分の経験や知識として、今後の人生の糧となる。

安直では無く、冷静に相手を見てからの判断 それが客観的に物事を見ると言うことである。

あーー、具体的な国家のことを言ってるわけではありませんし、客観視して、嫌いななものは嫌いですから・・・・僕の場合は!!!