2014年1月8日水曜日

「思い込み」 これも主観と客観のお話

日本人は、良く他の国の文化や思想、ルールに触れた時、「信じられへん」「ありえへん」「そんなことようできるわ」という少し馬鹿にした発言をよく耳にする。

私たちの生活習慣の違いで日本人から見た時の非常識さを安直に表現した言葉である。

特に食べ物となると、それがより顕著になる。

日本人が口にしないもの、そしてそれが獣系であれば、ほとんどゲテモノという言葉を使って処理をしてしまう。

確かに率直な素直な意見で、そういうことを言うなと言う必要はないだろう。

しかし、私たちがおかしいと思っていることは、実は全て彼らの当たり前の行動であることが多い。

日本人が主観で物事を判断して、感想を口に出しているに過ぎないのだ。

他国の人達は、私たちとは、物理的環境も文化も、思想も、違うのだ。

それを理解せずして、その言葉を発するのは如何なのもか?

自分たちが世界のスタンダードで、そこから外れることは全てイレギュラーという判断を人間は往々にしてしまう。

そこから抜け出し客観的に物事を判断することが大切だ。

何もその文化を取り入れと言っているわけではない。が、理解する努力はしないといけないだろう。


一つ例を挙げよう

皆さん知っていますか、先進国の中で、一番のゲテモノ食いと言われているのは日本人であることを!

そしてそれは何を指して行っているのか?

実は「生卵を食す」ということが世界中で日本人が一番のゲテモノぐいと言われている所以である。

他国の人達にとって生卵をそのまま食すと言うことが信じられない行為なのだ。

昔、映画「ロッキー」で、主人公が強くなるため、スタミナを付けるために、コップに生卵を何個も割り、飲み干すというシーンがあったのを覚えているだろうか?

あれは、決して日本人を意識してるわけでは無いのですが、それだけえぐいことをしなければ強くなれないという安直なメッセージを送る演出だったと聞いている。

ちばてつやさんのゴルフ漫画「明日天気になあれ」でも、主人公の向 太陽君が、海外での試合に臨む前、日本人は、卵かけご飯を食べないと力が出ないと、ホテルの厨房にご飯と生卵を要求し、それを掻き込むというシーンがありますが、やはりその後ろでものすごく嫌な顔をしたホテルスタッフが書かれている。

知らなかった人、ビックリするでしょ。

でもこれが世界のスタンダードなんですよ


このように、主観で物事を見ると、自分が中心になり、自分の行為総てが正しく、それ以外はおかしいと判断してしまう事になる。

主観で物事を判断すると言うことは、思考を止めてしまい、新しい知識を入れないと言うことに繋がってしまう。

確かに間違いを受け入れる必要は全くない。しかし、ハナから、それは間違いだと判断をして拒絶するのはいささか、軽率な行動では無いだろうか!

思い込む前に、一度相手をしっかりと見ると言うこと、理解しようとする行動が必要である。

隣の家には、隣の家のルールや週間があるように、国家間ではそれはより顕著になる。

それを理解した上で、物事の判断をすれば、より相手を知ることができ、次の展開が大きく変化するはずで、自分の経験や知識として、今後の人生の糧となる。

安直では無く、冷静に相手を見てからの判断 それが客観的に物事を見ると言うことである。

あーー、具体的な国家のことを言ってるわけではありませんし、客観視して、嫌いななものは嫌いですから・・・・僕の場合は!!!


2013年12月31日火曜日

2013年の振り返り

本当に激動の一年でした。
それぞれのパートに分けて今、今年を振り返っています。 
会社、業界、大学研究会、プライベート、全てにおいて良い意味でも、悪い意味でも激震が走った一年でした。
具体的には書きませんが、今日で、今年にけじめを付け、明日からのスタートダッシュに望める体制だけは作れたと思います。

全く新しい事に望むのでは無く、今確信を持って進めていることを着実に、しかし、冒険心を持って前進させるのみです。

会社(ぶれることの無い経営者として)
業界(グローバルな目線で業界に携わる地域リーダーとして)
地域経済(地域経済浮揚のために必要なことを具体的に行動を起こす経済人として)
地域住民(仕事、プライベートを通じ、現社会を生きる奈良人として)

この4つの柱に
永遠に変わることのテーマ
「責任と覚悟 そしてそれに対する最大の努力」

を絡め、来年も大きく全国を走り回ります。

えっ?プライベート・・・当然それが一番大事でしょ。

僕は全てにプライベートを絡めて行動してます。だから楽しいんですよ。

皆さん今年はありがとうございました。 See you next year bye !!

2013年12月27日金曜日

人間関係は多種多様 

人間関係

それは人間にとって永遠に答えのないテーマかもしれない。

しかしそれは人間関係というものを真正面から考えた人にだけ与えられる特権であるのも事実だ。

普段人間は、意識をして人間関係を考えたりしない。

なにか問題が起こったり、ギクシャクした時にのみ、人間関係を引き合いに出してくる。

いわば問題解決の一つの要因としてのみ、浮上してくることが多いのだ。

それだけ人間関係というのは、重要視されていないことが多い。

でもそんなに簡単に片付けていいもんでもない。

社会で生きて行く上に置いて、他人との接触は必要不可欠であり、その時点で人間関係の問題は始まってしまう。

よりうまく社会を生きていこうとすれば、人間関係に対する自分の考えをしっかり持っていなければ、不必要な摩擦を生むことになりかねない。


それでは全ての人間において同じような関係を持てば良いのか?

それは、NOだ!

絶対に全ての人との関係が同じで良いはずが無い。

では1人1人の人に対応すれば良いのか?

理想的にはそうであろうが、不可能に近いためそれも現実的ではない。


じゃぁ どうすれば良いのか?

実はそんなに難しくは無い

自分の置かれている人間関係をグループ分けすれば良いのだ。

家族、職場、友人 先輩 後輩 同輩 グループ分けも簡単でしょ

最初は大きなグループで良い できるならそれを細分化していけば良い

たとえば、家族と一口に言っても、親、兄弟 で二つに分かれる と言うような具合にである。

そして、それそれに対して、自分はどんな人間関係を構築しているのか、考えてみれば良い。

問題勃発以外で初めて人間関係を冷静に考える人がいるはずだ。

その答えが出たときに、客観的に果たしてそれで良いのかを考えれば良い。

分析をすれば、なんでも自分にとって正しい答えは自然と見えてくる。


ではあくまでも自分の私見の考えを書く。

これが正しいわけでは無い。僕が考える答えである。

僕は、身近な人間ほど、気を遣う関係を構築しないと考えている。

一番気を使うのが、家族である。

それも両親 兄弟、嫁、子供 の順である。

答えは単純で、切るに切れない関係であるのだから、ギクシャクしないように気を遣わないと全てがうまく行かなくなる。

人間とはわがままに生き物である。常に顔を合わすもの同士が気を遣わないでうまく行くはずが無いという考えなのだ。

これが僕の人間関係の根本である。

故に距離がある人ほど、気を遣わなくて良いと言う結論だ

関係の遠い地人などは、駄目なら付き合わなくて良い考えている。


では職場の人達との関係はと言うと、これは、友人でも無く、家族でも無い 非常に高度な人間関係が必要になる。

一言で言うと「きっちり距離を置いて それぞれの立場を明確にして その上で信頼という糸で繋がっている関係」

これが解った上で、友人として付き合うなら良い。

でもたまに逆の人いてるよね。逆は大きな過ちを犯す

一度自分の人間関係を分析して答えを持ってみて!劇的に世界が変わるよ

自分の答えの中に一部行動が伴って今にものがあります。あしからず

2013年12月13日金曜日

些細な時間の集大成

人にはそれぞれ時間に対する考え方が違う。

決して時間という概念の意味を言っているのではない。

使い方に対して述べて見たい。


あくまでも私見である。

時間をうまく使える人、下手な人・・・・それぞれ多く見かける。

あなたはどちらだと思いますか?


僕は自分でうまいとは思っていない。

なぜなら頭で考える通りのことが実行できていないからである。


ただ、常に実行していることは一つだけある。

せっかちと思われるかもしれないが、時間の中に極力サバを入れないようにしている。

オンタイムとオンタイムの間に潜む時間のサバを極力抑える努力である。

移動手段も色々考え最短の時間で移動できるように考える。

たとえそれで歩行などによる体力的苦痛が増えてもである。

オンタイムとオンタイムの間の時間を、有効に使える人はいいが、僕にはどうしても集中することができずに、全てが中途半端に終わり、結局、全く得るものがないまま終わってしまう。

そこで、オンタイムとオンタイムの間を極力少なくする努力である。

先方の都合に合わせなければならない時はしようがないが、自分の都合に合わせてもらえる時は、全ての要件を、短時間の中に詰め込むのである。

当然最小限の休憩は入れるが・・・・

そうすることにより、纏まった時間が後ろに現れる。本来うまく使えることができなかった時間が一つの塊になるのだ。

これで一つの用件をそこに入れることができる。

こんなこと誰でもやってるでしょ でもね、意識的にやってごらん。驚くほど時間って無駄にしてることに気付くよ。

そして精神的余裕がうまれる。

えっ?逆じゃ無いのと思われるかもしれないが、そんなことはない。

一気にやり遂げた後の大きな時間の塊で精神的余裕を持った方が思いっきりリラックスできるし、オンタイムに起こるミスも実は少なくて済む。

よく、それだけ動き回って、しんどく無いのと言われるが、僕にとっては至って普通・・・・どころか、他の人よりも数倍遊んでいるはずである。

まとまった時間で、仕事してることは僕の場合はほとんどないですからね。

まとめた時間で、休憩したり、遊んだり、自分の時間に使っている。

そこまで、詰めて働いても効率上がるはずがないですから!! 

頭切り替えのために、多くの遊びの時間は必要なんです。

と常に自分に言い聞かせている。

働き詰めで、忙しいと言ってる人に、本来の結果残せてる人は誰もいないですからね。

これって、制約理論におけるクリティカルチェーンプロジェクトマネージメント、そのまんまでしょ。

当然これだけでは無理ですよ。時間を詰める時にはいろんなルールを考えとかないと一気に効率は悪くなりますからね。ここからは企業秘密・・・ふふふ

2013年11月12日火曜日

「東大生が直面する悩み」 とある雑誌の記事から

この記事は決して、東大生に限ったことでは無いと思う。優秀な大学に進学した学生はみんなこの可能性を持っていると思う。

書かれた先生が東京大学大学院理学系研究科の植田教授であるから、東大生とされている。

さてそれはどのような悩みなのか?

入学して、少し立ってからや、在学中には元気だった学生が社会や大学院に進んだとたんに、大きな壁にぶち当たってしまうと言う。そして、挫折してしまうと言う。そんながくせいが、近年、急増しているという。

その悩みとは?その壁とは何なのか?

「評価のルールが突然変わる」

と言う至ってシンプルな悩みである。

大学に入るまでの評価基準は、「勉強」である。

答えが決まっている問題を以下に効率よく得かと言うことが評価の基準である。
物心がついてから、「成績が良い=優秀」という物差しで評価され続けてきたので、学生達はそれが人生の成功の物差しであるかのように錯覚に陥ってしまう。

しかし、大学院や社会は、そんな物差しで評価などしていない。

大学院は、自らが問題を見つけ、創造的に解決できない限り博士号は取れません。社会においても自分で課題を見つけ自らが考え解決していくことが成功の基本ルールです。何をしたら良いか乗しに確認をとった時点で指示待ち族となり成功者の道は歩めません。

このように、大学生までの評価基準と、卒業してからの基準が大きく変わることが、壁にぶち当たり悩み挫折する方程式だと先生はといている。

これは、実は、僕自身が、大学を卒業し、シャープ(株)に入社したときの当時の佐伯社長が入社式の中で述べられた言葉と全く一緒なのだ。

国立一期校の生徒達に、「君たちは今まで挫折というものを知らない。それだけ高校生までの物差しで成功を収めてきた証拠である。しかしこれからは物差しが完全に変わる。頭を切り換えない限り、君たちに成功はない」とはっきり仰った。ちなみに、その他卒の学生達には「君たちは、心配する必要が無い。いろんな失敗や挫折、成功を繰り返し、学生時代は、あまり勉強もせず、アルバイトという名目で、それなりに社会も知っている。大丈夫である」褒められてるとは思わないが、この言葉が深く心に刻まれ、気分が楽になった。

確かにここに書かれていることが全てではないし、全員が当てはまるものでもない。また等で異性以外でも同じような挫折を繰り返しているものもいる。

自分が、役30年間社会人を経験して言えることは、急激に、そのような若者が増えてきているということだ。その背景には、高度成長期に、親からそのような教育を受けてきた子供達が疑いもなく、同じ教育を今の子供達にし、社会もそれが正しいかのように認めてしまっているからに過ぎない。

人間は高度に見えるが実は単純

あなたは同じ失敗を繰り返したことがあるだろうか?
ない人はいないはずである。

自分一人にかかる問題の失敗なんかは本当に多々あることだろう。

当然それだけではなく、他人を巻き込んでの失敗も数えたら切りが無い。

ビジネスにおける致命傷に近い失敗も僕は幾つかある。

そんな重大なことであるにもかかわらず、また同じ失敗を繰り返してしまう。


あなたは、そんな失敗を起こした時、または失敗を繰り返した時、どう考える?

もう絶対同じ失敗は繰り返さないぞ。と心に誓うはずである。

しかし、同じ失敗を繰り返さないための、防御策を講じたことはあるだろうか?

実はほとんどの人がそのようなことは考えるが、思いつかないために実行で来ていないのだ。


なぜ、思いつかないのか? 

それは失敗した事柄を中心に考え、そこから防御策を講じようとするから答えが出ないのだ。

必要なのは、失敗した事柄を掘り下げることはでなく、人間という動物が失敗を起こしたと考えればいいのだ。

失敗した内容なんてこの際どうでもいい。

人間は高度に物事を考え、行動を起こすことができる動物である。

だからどうしても、複雑に物事を考えがちなのだ。

事を起こした内容が重要であればあるほど、それは高度なことだから失敗をしたと判断してしまう。

だから防御策も高度なんだと勝手に考え、高度な中で思考してしまう。


実は高度な思考と行動ができる人間も実は非常に単純な動物なのである。
ということをまず認識することが大切である。

弊社の現場で、こんなことが起こった。

今は当たり前のことであるが、現場内での喫煙は、所定の場所でするようにと現場監督が、朝礼で注意を喚起した。

なかなか実行されず、毎朝それを繰り返した。

忍耐強く言い続けることにより、所定の場所以外で喫煙するものはいなくなった。

監督は、もう大丈夫と朝礼での喚起をやめた。

するとどうであろう。

一週間もしないうちにまた所定場所以外で喫煙がはじまってしまったのだ。

結局その監督は、現場が終了するまで、注意を促すことをやめなかった。

なぜこのようなことが起こったのか? 
それは、喫煙当事者に喫煙場所以外でタバコは吸わないという注意に対する防御策が講じられていないからであった。

この場合の防御策は、実は現場監督の朝礼での喚起にあったのだ。


今のこの例えは喫煙するという非常に簡単な事象で説明をしたが、実は高度になっても防御策は一緒なのだ。

防御策を講じていても、実は人間はそれを繰り返さない限り同じ過ちを起こしてしまうのだ。

また防御策をこうじていても、それがマンネリになってくると防御策としての効果は薄れまた同じ行動をとってしまう。


さてそれでは僕の防御策をご披露しよう。

非常に単純である。

毎日必ず、行う行動の中に防護策を思い出すサインを組み込めばいいのだ。


例えば、毎日顔を洗う洗面台の鏡に、今までにはないシールを貼る。と言ったようなことである。

指輪のように身につけるものならなお良い。

今までに無かったところに変化をつけることにより、思い出させるというやり方である。
そしてそれがマンネリになってきたら、別のものに置き換えれないい。
必ず一日一回は、目にしたり触れたりするところに、変化のあるものを存在させるだけで、人間は忘れずに済むのである。

僕の周りにはそんなものばかりであるが・・・・悲しい・・・・・


2013年10月22日火曜日

付き合える相手はどこまでの範囲か?

人間は、幼稚園に入った瞬間から、死ぬまで集団生活の中で生きて行く。現在は保育園が数の幅を利かせ0歳保育とかいうのまであるようなので一概には言い切れないが、物心がつき、自立して自分の意思で行動を起こし出した頃と考えれば良いか?

まぁ、日本人のほぼ100%に近い子供達は小学校に入学するので、別にそれからでも良い話をダラダラ書いてみようと思う。

さて、冒頭でも書いたように、無人島で生活でもしない限り、人間は集団生活の中で一生を終える。

一言で言ってしまえばどってことの無い話である。

しかし人間にはいろんな意味で、多くのタイプがある。思考的分類 行動的分類 思想的分類 生活的分類・・・・・たぶんあげ出せば切りが無いだろう

人間は、この無数にあるタイプの人間と付き合いきれるのだろうか? 

それはたぶん無理である。

というか、殆どのタイプの人間と付き合うことができないのでは無いだろうか!

学生時代のクラスや 社会人になっての会社や配属部署などはそんなタイプを考慮して配置などしていない。

あらゆるタイプがごちゃっと集められている。

当然、それを意識することなく、学生生活を送ったり 社会人として目的達成のプロジェクトを遂行していく。

それはそれで学び遂行できるであろうが、最大の成果を生むのは、そんな状態ではないはずである。

学生時代の学びは、逆にタイプに分けない方が学びも大きく人間の幅を広げるからよしとしても、社会人としてはいかがなものであろうか?

入社試験などはもしかしたら、ある程度のタイプのふるいをかけているのかも知れない。

ビジネスにおいても、チーム内のタイプのバランスで、進捗がはかどったり思いも寄らない結果が出たりする場合がある。
しかし、そのチームで成功したからといって、他のプロジェクトが同じチームで成功するとは限らないのだ。
物事に対する自分の適材適所があるように、人においても自分の適材適所がある。

友だち付き合いはできても、ビジネスは無理な人
ビジネスはできても一緒にプライベートを過ごすことができない人
ハナから完全に拒否してしまう人
逆に何でも一緒にできる人
プラスとマイナスの二極だけではなく、それぞれにアナログ的レベルがあるのだから、人の付き合いというのは本当に複雑怪奇である。デモだから面白い。

良いのか悪いのは別として、自分が付き合える人間とは?

自分が好きとなる人とは?

逆にどんな人に好いて貰いたいか?

どんな人に自分を買って貰いたいか?

などをコッソリ考えてみるのも自分を知る上で大切なことである。

リアルにそれを表現すると、つまはじきになる可能性があるが・・・・