2015年2月10日火曜日

賛成をいう勇気

自分の考えは必ず露わにしなければならないと常日頃から思っている。

それは、同調の意見の時もあれば、反論の時もあり、また見方を変えて新しい提案もある。

大切なのは、いなかる時も自分の意見として、主張することが大切で、頭の中で思っていても表現しなければ、相手にとっては意見がないと一緒になってしまうということだ。


ただ、少数のグループディスカッションなどては主張することが多いかも知れないが、政治や経済論などの公共性の高いものになればそれは少し変わってくる。

主流派に賛成であれば、あえて賛成を声に出さなくなってしまう。
逆に反対であれば、相手の意見をしっかりと聞き入れる前から必要以上に反対を訴える。

というように、賛否により声のトーンが一気に変わってしまうのだ。

どうせ、自分が思うようになるならあえて声を出して目立つ必要は無いだろうという考え・・・・もしかしたらそれは、昔からある日本の美学なのかもしれない。

しかしよく考えてみよう。

今、自分の意見をなかなか持たず、人の意見を聞いてから自分の意見を持とうとする人達が増えてきている中で、果たしてそれで良いのか?

声を出した数だけを見れば、反対派の方が多数を占めてしまう状況で、流される人達は、結局反対派に流れてしまうのが、一昔前であったように思う。

数年前、自民党政権から民主党政権に変わったとき、それが大きく動いた。

自民党支持者達は、当時、どうせ与党なんだからと、大きな声を上げなかった。しかし、主流が民主党に動いた瞬間から、自分たちは反対派と成り、声を大きく出すようになった。

お陰で、与党に戻った今も、自分の意志を出さなかった人達も、賛成という意思表示をするようになったのだ。

メディアやネットが大きな力を持ってきている現在、本当の民意を明確にするためにも、賛成であっても、堂々と声を出して自分の意思を表示することが、大切である。

それこそが自分たちの手で次世代を作り上げていくことに繋がると確信する。




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