ほとんどの人は、当たり前であるが、自分の時間軸で物事の判断をするはずである。
それは何も不思議ではない。当然のことだ。
ひとりの人間の時間軸の単位は、平均寿命と置き換えれば、だいたい85歳ぐらいになる(あくまでも男女の平均の平均くらい)
人間が物事を無意識に判断するときの時間軸は、案外これにの乗っ取っていることが多い。
自分の人生を、ベースに考え、それがすべての時間軸のように判断している。
ただ、すべての事象が、人間1人の時間軸で語られているかというと実はそうではないのだ。
たとえば、動物の進化をテレビのドキュメンタリーで見たいたとしよう
1時間ないしは2時間の番組の中で、実は数千年の進化を見せてしまう。
確かに、1時間や2時間で人類は何の進化も起こさないのは理解はしているが、テレビの中で語られている時間軸をしっかりと把握しながら番組を見ているかというと決してそうではない。
これを宇宙に置き換えてみよう
地球の誕生と月の誕生が45億年くらい前である。
もう想像できない時間軸がそこには存在するのだ。
それから考えると人の人生は本当に一瞬でしかないが、人間は時間軸においても自分を中心とする主観的物事で捉えていると言える。
そうしてもその時間軸が主になって考えてしまう。
得てして真実を見誤りかねない。
飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、戦国時代、江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代、平成時代
歴史で学ぶ年表に出てくるそれぞれの時代を順に書いて見た。
自分の馬鹿さを暴露することになるかもしれないが、今書いた時代はすべて、並列にあるものと思っていた。
西暦で考えればなんてことない話だが、学校で学んだ時はそのように考えていた。
いうまでもなく、明治、大正、昭和は他のものとは一緒ではない。この3つについては年号である。
他はそうではない。言わば、明治、大正、昭和は人の時間軸で判断できる表現されたものであり、その他は日本という時間軸で表現された歴史である。
わかってみれば当たり前だが、深く考えると何と無く複雑になってくる。
個人と人、 国と世界、 そして宇宙、それぞれ同じ時間で動いているにもかかわらず、ものの大きさによってその表現方法は変わってしまう。
冷静に判断しなければ大きな勘違いにつながってしまう。
主観で物事を判断すると大変なことになるという一つの例
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