2012年11月4日日曜日

年相応と分相応

この二つの言葉、大変よく使われている。
年相応とは、年齢に見合った・・・・であり
分相応とは、身分に見合った・・・・となる。

この二つの言葉に対する自分の考えを書いてみる。

まず年相応と言う言葉。年齢に見合う服装、年齢に見合う言動、行動と言うようによく使われるが、その年齢に合う服装ってどんなの?言動や行動ってどういうことを言うの?

「もういい歳なんだから、そんな格好やめときなさい」とよく聞く。
これって本当に正しいの?
これって、逆に、その人の個性を潰すことに繋がってない?

確かに言動や行動については、大人が子供のような動きをするのはおかしいかもしれないが、それも、その時の雰囲気で、その個人を主張する方法であると思わない?

私自身、年相応という言葉なんかあり得ないと思っている。周りを不快に思わすこと無く、自分を主張できれば、そこには年齢なんか関係ない。
にもかかわらず、年相応を気にしてる人が非常に多い。
これも個性を出して目立つことに消極的な現れなのか・・・


では次に分相応。

これは、身分にあったということ・・
これは、年相応とは逆に、僕は、強く意識するときがある。
男としての立場、父親としての立場、社会や会社における自分の立場、これを忘れ、大きく背伸びしてみたりすると、必ずそこには不協和音が生まれ、不快感を相手に与える。
自分の立場や身分は自分の成長ともに一段ずつ上がるものであり、一気に飛び越えるものでは無い。当然成長の速度は、人の努力によって変わるが・・・
でもこれも、年相応とは逆で、意識してない人が多い。

なんか皆さん逆でしょ・・・


そう考えるのは自分だけなのだろうか・・・






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