2014年11月26日水曜日

負けるという言葉に感謝

僕は立場上、負けるという言葉が嫌いである。

この負けるという言葉には、大きく二つの意味があると思う。

それは、言葉の意味と言うより負けたときの自分の感情に左右される。

露わに負けが悔しく自分が腹立たしく思うときと そうでないときである。

負けが悔しく腹が立つときは、自分の努力の足りなさが明確で尚且つ、その相手を自分と対等に見ているときだ。

これは明確だ

では悔しくないとき、腹が立たない負けとは?

ある意味、完敗させられたときなどは腹も立ちはしない。

それ以外にもう一つある。

良く似た目的を持ち、お互いが理解し合い相互関係で切磋琢磨できている相手には悔しさはあっても腹立たしさはない。

先を進んでいることに敬意さえ覚える。

手本にさせてね 次は俺が手本になるから…と言ったような感じだろうか…

こういう負けならいくらでも…
、とは思わないがちゃんと自分の糧になる。

最近そう思うことが増えた。

自分が丸くなったという事もあるのだろうが、そう思える知人が増えたことは間違いない。

みんなありがとう。

0 件のコメント:

コメントを投稿