2014年5月15日木曜日

閉鎖空間からの脱出が建設業の課題

建設業は、最近まで、閉鎖空間の中で成長してきた。

特に、地域における建設業は大手よりもその意味合いは大きいだろう。

そしてその閉鎖空間が、ここ最近の建設業の信頼を大きく地に沈めてしまっている。

官製談合、政治家との癒着、耐震偽装 数え出したら切りが無いくらいの問題も確かに起こしてきたが、起こした問題以上のダメージを受けている要因は、この閉鎖空間にあるのではないか?

世間から見れば建設業は闇の中で、何をしているのかよくわからないのが、ダメージを大きくしているのではないか?

閉鎖空間の一つが、物理的な建設現場である。

建設現場は、塀で囲まれ、まるで中は見えなくなっている。

建設業サイドから見れば、地域住民の安全の確保、埃や騒音の環境に対する配慮となるのだが、

関係者以外からは、中で何をしてるのかわからない。闇の闇の空間となっているのではないか?


第二の閉鎖空間、それは、建設関係者の心の中にある閉鎖空間だ。

どうせ理解してもらえないから、解放するのは無駄だ。と言う意識だ。

言葉で言うより、技術で良いものを仕上げるのが自分たちの最大の役割でそれが最大の貢献となる。と勝手に思ってはいないか?

確かに一概に間違いではないだろうが、決してそれが全てではない。

人を遠ざけることにより本来考えなければならない真の目的をあやふやにしていないか?

それが人のマンネリを産んでいないか?

人の本気の重みは時間が経つに連れ、薄れて行く。

しかし人間は薄れていることに気がついていない。自然と薄れているから、本気で考えなくなり、気がつけば、気持ちの入っていない「やっているだけ」と言うマンネリを生んでしまうのだ。

維持するためには、意識的な刺激が必要だ。そうすることにより、マンネリから抜け出すことができる

人を遠ざけることで、意識的刺激がなくなり、本気さが薄れ、マンネリが生まれる。

これがある意味、建設業者の心の中に閉塞空間を助長させるルーチンとなっているのではないか?


今建設業に必要とされているのは、建設業に対する理解だ。

そしてその理解を勝ち取るためには、閉鎖空間からの脱皮しかない

やれ建設業の信頼の回復だ。やれイメージアップだと全国でありとあらゆる手法で国民にアプローチをかけているが的確に効果が出ているものはほとんどない。

原因は、手法にあるのではなく、もっともっと根本に存在しているのだ。

そのためにも閉塞空間から脱皮し、物理的にも精神的にも国民に対して解放して行くことが必要である。

そこに、建設業がが抱える問題の解決の根本があるように感じる。

では開放の手法とは何なのか?

物理的にも心理的閉鎖空間も決してリスクの高いものでは無い。

保守的に考えれば、否定論から入り何もできない。

それこそ、些細なことからで良いではないか!

具体的手法はそれぞれが考えよう。

そこにはリスクなんてないはずだ。

やりましょうね。











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